霜月忌。

母校での教育実習が顕著にそうだったが、仕事でもプライベートでも、自分が何をやっていても子どもの頃に誰もが経験する「ごっこ遊び」を、大学最終学年にもなってやっている気分がどうしても抜けなかった。
この「肌感覚」は小学生の頃あたりから四六時中、俺自身を苦しめており、いつまで経っても「何者にもなれていない」という無気力の原因にもなってきた。
そういうとき「自分が見ている自分」は実年齢に関係なく、細くて青白く、成長期に肉付きが追いついていない中学~高校時代のどこか頼りない自分で、決して他人を威嚇するために充分なスーツ姿や「鎧」を纏った成人の風貌だったことがない。
唯一音楽をやっているときだけはなぜか、この感覚を忘れることができた。
しかしここ数年は、その唯一の例外だった音楽活動でも、気を抜くと「自分を演じようとしている自分」が立ち現れることが徐々に増えていた。

俺自身がやりたいことができてないのか、という思いは何度かここに書いたこともあったが。
思い立って遠征、などということになった場合、(移動距離にもよるが)最低3か月ほどの「計画的節約生活」を行わないと、俺ひとりだけ現地に辿り着くことすらできない。
つまり「思い立って」から実際に身動きが取れるようになるまで、俺の場合は最低4か月はかかってしまう。
こんな生活態度では、何よりバンドに迷惑がかかる。

2019年、そんな生活をようやく「根本から立て直す」という決断をして、バンド活動から一旦離れることにした。
今にしてみたら、「今更、いったい誰のために?」だった話だが。
年が明けて2020年、まさか地球規模でこんなことになっているなどと想像すらしていなかった「100年に一度」といわれる感染症新型コロナウイルス肺炎の感染拡大。ご存知の通り、多くの人たちの生活そのものや関係性を破壊しながら、2年以上経った今も続いている。
どうやら俺の音楽活動は早晩、「死ぬ」運命だったようだ。

思い返せばその「終盤」にあって、長いこと音信が途絶えていた友人と偶然つながることができて、しかも彼の結婚式で演奏させてもらうという大変な栄誉を得ることができたのは幸運だった。
俺自身が未だに結婚できないのはともかくとして、友人・知人が結婚ラッシュを迎えていた時期、俺はステロイド剤によるリバウンドで一時的に全身の皮膚がなくなってしまい、思うように身動きできず、人前に出られる状態ではなかった。このために、活動歴の長さの割にはいわゆるブライダル営業の経験は数えるほどしかなかったりする。
音楽のすばらしさのひとつに、時空を飛び越えて疎遠だった人と人とを「再び結びつける強い力」というものがある。
期せずしてそんな思いが叶った上に、この信念が間違っていなかったことが証明できた、もう思い残すことはない。

一方、所属最後となったバンドではメンバーに無理を言って、3年越しでミヤジャズにエントリーさせてもらっていた。ようやく現地の方たちにも顔を覚えていただき、こちらも「繋がった」という手ごたえが得られたところ。
それがはっきりした手ごたえとして具現化した、雀宮・「まつぼっくり」でのライブが俺の最後の、人前での演奏となった。
2019年の今日のこと。

実は数年前から、「これが最後の演奏になるかも知れない」という漠然とした思いを抱えながらひとつひとつのステージに立っていた。
よくも悪くも、「次はこうしよう」という「プロ魂」とは逆の、アマチュア魂。
そのせいか、「今日が最後」という日にも本人ビックリするほど、何の感慨もわいてこなかったことだけは覚えている。

これまでもいろんなバンドを抜けたり(自らの意思で)解散したりもしてきたが、俺自身はひとつとして理由が同じだったことがないと思っている。
後悔はしていない。
ただただこの間に、長い時間だけは流れていて、
周りの人たちの生活は驚くほど変わっているのに、
俺はいったい、何を見てきたんだろう。
掌には何が残ったんだろう。

ということは、ずっと考えてしまう。
こうして振り返ってみたところで、何が変わるわけでもないのに。
毎年、今日という日に。