私はいかにして、アカペラーとなったのか-3- ★★☆(毒、混じってます)

なんと「2」から早2年半が経過…っつーかまだコレ続ける気なのか、俺は。
今回、画像はありません。
大学では念願の合唱部に、一旦戻ることになる。
学生という恵まれた環境の下、この部活動で俺自身が学ばせてもらったことは、音楽に留まらず人間関係に至るまでたくさんあって、とても全てを書き尽くすことはできない。面白いエピソードもたくさんあるのだが、今回のテーマからは外れてしまうので、俺自身の音楽への姿勢が形成されるポイントとなる事象だけに絞ってみても…すでにかなりの長文。

俺自身も(前項までにあるように)高校時代には不本意ながら合唱の「メインストリーム」を離れてしまった人間ではあるが、当時の合唱部はそれ以上に多様なバックグラウンドを背負った部員が参集する場となっていた。高校まで全国大会常連校でガツガツ歌ってきたなどという人ももちろんいたが、他の文化部と兼部している人も結構な割合でいて、いい意味で枠にはまらず幅広く、何でも取り入れてみよう、という気風は、全員一丸となって全国コンクール優勝を目指す、などといった環境とは対極。もちろん誰かがそういう提案をしたら、そんなことも一度はやってみようぜ、となっていたかも知れないくらい、何でもありな気風だったことが幸いして、高校時代にちゃんと合唱部、じゃなかった俺にとっても、居心地がよかった。
実際、先輩指揮者の持ってきた定期演奏会での演目は、丁度輸入楽譜が入ってきていたThe Manhattan Transferのピース譜で、これが俺としては遅まきながら、オープン・ハーモニーとの衝撃的「遭遇」だったりする。後年、採譜間違いが大量判明して知る人ぞ知る黒伝説(笑)となった、あの「バークレー・スクェアのナイチンゲール」が含まれる、一連のピースだ。
オープン・ハーモニーといえば、TAKE6がグラミーを受賞、その祝賀ライブ(?)の模様が放映されたのは、さらに数年後。偶然、下宿していた練馬で銭湯の大画面テレビで見た。俺は丁度、湯船から脱衣場へ出てきたところで、全裸のままその場でしばらくフリーズしてしまった。翌朝レコード屋へ走ったのはいうまでもない。人間、ことばにできないほどの衝撃に遭遇すると、フリーズするものらしい。

合唱部としては小規模ながら、それなりに伝統の備わった部であり、当時から今に至るまで、OB・OGの方々との関係やご支援いただける体制もしっかり残っていた*1。いきおい、ひとつのものを創り上げることに対してはみんなとても真摯な姿勢で…まぁ俺のような、卒業してン十年も経った年寄りにとって、渦中に当事者としているときは毎日がトラブル続きだったとしても、当時のことはだいたい全てが輝いて見えるもので。
音楽そのものには得手不得手がある人も、それぞれの役回りをちゃんと部内に見つけ出しては主体的に参加する好ましい雰囲気が備わっている、そんな合唱部の「一時代」だったと思う。

この学生時代の思い出としては、マルチトラック・レコーダー(MTR)を買ったことか。
中学で山下達郎さんのひとりアカペラに出会ってからというもの、ようやく入手することができた。様々なストレージに音声データを記録する方式を経て、今はハードディスクが主流だが、当時はまだカセットテープに録音するもの。機械に詳しくない方のために、極簡単にいってしまうと、通常のカセットテープは一度録音したら、次に録音すると前の音は消えてしまうものだが、マルチトラック・レコーダー(MTR)という機械は、その上にさらに録音を重ねることができる特殊な録音機械、と思ってもらえばいい。だから、前に録った自分の声をヘッドフォンで聞きながら、自分の声を重ねて録音することができ、これを繰り返すと「ひとり多重録音」のコーラスが出来上がることになる。
それなりに長く歌ってきたという自負もあったわけで、さっそく自分の声を重ねてコーラスを作ってみたわけだが…結果は俺としても衝撃的なものだった。自分の声を聞くことが好き、という人もなかなかいないと思うが、出来上がった音は自身がイメージする「コーラス」ですらなかった、という大変イタい結果。
つまり、生声でハモることが常の「合唱」と、ハンドマイクを使っていわゆるテンションコードを歌うことも多い「アカペラ」とでは、自身の声の出し方を変えなければいけないものなのだ、ということを、身を持って知り、今に至るまでの試行錯誤が始まることになる。

時代は高度経済成長期の「まじめにやるヤツぁご苦労さん」に始まり、お笑いブームからバブル景気真っ只中。
音楽の世界でも、「クラシック音楽は難しくない」、「もっと身近に親しんでもらいたい」などと耳障りのいいことを、俺自身も標榜する側だったりしつつ、一方で自らは(演奏環境や音響にこだわって?)ホールからは決して出てこないという「特権階級意識」みたいなものには、矛盾を感じたりしていた。
ここでも先の高校時代、ゲリラライブに「脱線」した経験が、俺の内にそんな葛藤を生じさせていたらしい。
カタチ(や場所)なんて、どーだっていいじゃん。
後年、「アカペラを広めたい」と異口同音にいう人たちのことばに俺が感じていた違和感も、同じようなものだったんじゃないかと、今になって思う*2。アカペラって結局、演奏スタイルのひとつに過ぎない。大事なのは「何をアカペラでやるか」であって、聞く側にとっては何か特別な「音楽」をやっているわけではない。演奏環境が特殊なのは演ってる側の都合であって、それを客席に気取られるようでは、音楽としては何かいかんだろ。よりアカペラでの演奏を理解し、楽しんでもらうために、その特殊性についてMCで解説を加える、といった企画ならともかく。
とはいえ俺自身も長いこと歌ってきたし、一方ではアカペラを広めようと努力された方々の思いやご努力もあって、今になってようやく、こういう考え方もできるようになり、世間の人たちのアカペラへの認識もあるわけなのだが。
ともかく、高校時代の楽器バンドでの経験、また無伴奏合唱での経験を踏まえて、何か音楽演奏に対して「自由」でいたい、という思いだけが強くあった。演奏したいがためだけに、会場を用意し、数十人からの部員との日程を合わせ、ステージという大所高所から演奏しなければならないのは、(俺の考える)音楽としては、なんとも窮屈と捉えるようになってしまったのだ。
そもそも飲食(私語)禁止のホールでシートに固まって聞かされなければならない「音楽」というものに対しても、少なからず違和感を持っていたのも、ライブハウスでの演奏経験からだと思う。もちろん俺がこういうことを自分の問題として考え始めるずっと前から全国にライブハウスはあったし、そういう形の音楽もあったわけだが、自身が年をとるにつれて初めて、少し学校の「外の世界」の音楽を見られたこと、その刺激が当時の俺には強すぎて、様々な迷いが生じていたのだと思う。
当時はそんな自身の思いがどういう形を取ればいいのか全くわからないまま、合唱というストイックなスタイルでの音楽活動も続けていた。
もちろん嫌々続けていたわけではなくて、3年次では学生指揮者に就任させてもらった。
音楽そのものについてや指導力は、歴代の先輩指揮者に叶うわけがなく、とりわけ1年先輩の学生指揮者は合唱に関してオールマイティーな方で、俺自身はそんなコンプレックスを抱えつつも、自分ができることをやっていくしかないと思っていた任期1年間。自身の興味関心があった発声法を軸に、ヴォイストレーナーの先生方のご協力もいただきながら、音楽演奏そのものを「創る」指揮者というよりは、部員みんなで学ぶ空気を作りつつ歌唱力を上げていくことで、次年度の指揮者に引き継げるような環境整備を心がけていたように思う。
何しろヴォイストレーナーの先生に来ていただくにしても、これが他大学だと時間の関係で数人ごとのグループでみていただくところ、小規模だったウチの部では、ほぼ個人レッスンの様相、同じ先生にひとりずつ見てもらうことができるという贅沢さだったのだ。

しかし、俺自身が何かひとつ、この時期に一番身についたことを書くとしたら、音楽への集中力じゃなかろうか(やっと本題かよ)。
今、奏でられている音に対する集中力はもちろんだが、日々練習を仕切らせてもらっている立場では、他にも時間配分、的確なタイミングでの指示出し、ことばの選び方などの判断が必要になってくる。
何をおいても日々の練習は楽しくやりたいもの。
しかし、タチの悪い冗談をいって笑い合っている時間だけが、音楽の「楽しさ」ではない。そこは毎日の練習が終わったら、たったひとつでも何か達成感があるようでなければ、練習なんか続かないわけで。
そのための事前研究に費やす時間は、いってみれば毎日が教育実習みたいなもので。
最盛期より部員の人数は少なくなったとはいえ、毎日大人数を前にして話すことだけでも、人によってはシンドいことだろう。間違いは指摘し、咄嗟に必要な練習方法を考え出さなければならないし、逆にやることが見つからなくて時間が余ってしまった、などということも、あってはならない。
俺自身のメンタルが落ちている暇はなく、とにかく毎日、明るい挨拶とともに練習を始めることで、練習全般を通じて楽しい空気を創っていく「集中力」=「気持ちの切り替え」は、もちろんうまくいった日ばかりではなかったが、任期1年の間にすっかり身体に染み付いたようで、今でもプライベートで訳あってテンションが低いままバンドの練習に向かわなければならない時でも、スタジオに入って練習が始まると身体全体がそんな「戦闘モード」に切り替わったのがはっきりと自覚できることがある。
先輩たちからは、部長と指揮者は何かと忙しい、と聞いてはいたが。
こうした気持ちの切り替えがなんとか身にはついたが、持病のアトピー性皮膚炎をはじめとする体調とのバランス取りはまだまだ、シンドかった。自身に無理をしているな、ということもはっきりとわかったので、どうやら俺には、リーダーシップ(もカリスマ性も)なさそうだなぁ、で今に至る。

こうした集中力や気持ちの切り替えは、社会で人と関わる仕事をしていれば当たり前な、人として大事なこと、だったりする。これに限らず俺は、音楽を通じて様々なことを学んできたが、逆にこの時期歌い続けていなかったら、今もこれらに気付かないまま、持ち前の協調性のなさを遺憾なく発揮しつつあちこちで衝突を繰り返し周囲に迷惑をかけ、本人も今以上に息が詰まるような暮らしになっていただろう、と思うとかなり怖い。
冬の定期演奏会間際ではついに往復の通学(や実家暮らしでの家族との会話)すらが億劫になり、部室に布団を持ち込んで暮らしてたりした。何事にもおおらかだった、昔の話。今だったら夜中に警備員さんが校内巡回してきて、追い出されてしまうだろう。

今回はすでに、かなり長げぇな。
というわけで、なんとこの項、続く(アカペラの話はよっ?!)

今日のまとめ

  • オッサンって、「俺も昔は、ワルいこといっぱいしてきたよ」と必ずいうよね。
  • この項は、後期日程の試験に必ず出題されるので、ちゃんと憶えておくように。

*1:自身もOBになって長いというのに、全く現役を支援できる生活環境にないのは、本当に心苦しいが

*2:まぁ何事につけ、「純粋まっすぐ」な雰囲気の人たちが苦手なせいもあるんだけど。