独り者と、偏屈と。

テレビドラマでも小説でも、いい年して独り者でいるヤツは、物語のキーマンであることも多いが、だいたいよく言ってキャラ濃い目、どこか変人だったり偏屈に描かれがちなものだ。
我が国においては、統治上の都合だけでなくかように文化的にも、国民の最小単位は未だに個人じゃなく「家族」なのだ。
俺自身は、おせっかいな両親や親戚がいて適齢期になるとしつこく結婚を勧められた、などという経験は皆無で、恐らくは重度のアトピーだったからハナから「圏外」扱いだったのだろう。
そういう意味では、人目を憚らない青春時代を過ごさせてもらったが。
音楽仲間で俺と同じ世代の独り身男性に対しては、複数の友人たちがそんな身の上を心配する発言を何度か耳にしたこともあったが、この手の話題で俺の名前が出たことも、ないなぁ…まぁ本人を前に、する話でもないだろうけど(人望ないし)。
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この年末年始、珍しく長い事ツイートのなかった常連リスナーさんに対して、個人的に気にかけているツイートを多く見かけた。
別のリスナーさんは、「訳あってしばらくツイッターから離れます」宣言をしただけで、たくさんのリプがついていた。
俺が同じようなツイートをしても、恐らくひとつもリプがつかない結果になるのは火を見るより明らかなので、消えるときは黙ってひっそりと消えようと思っている。
俺の日頃からの、人との繋がりの薄さを思えば当たり前か。

とにかく頭の先から足の先まで全身、粉を拭いたようなガサガサ肌で、どうやったって自分がカッコイイなどとは思えなかった思春期。
元々の性格だったのか、それとも病弱だった俺の先行きを心配した両親の教育の成果か、何でも「ひとりでできるよね」ということで、物心ついた頃にはとにかく、(できない癖に)何でも自己完結しようとするクセがついていた。
その割には家事であれその他のことであれ、身に付いたりモノになったりしたことはひとつもなかったが。
とりあえず学生時代以来2度目となった独り暮らしは、なんとか不快にならない程度には維持できていて、あっという間にもう10年にもなる。

音楽をやっている間はまだしも、こんな俺でも人を頼ってみたり、人間的な部分を出すことも多少なりはできていたのだろう。
ときにはそれなりにカッコよく見えちゃったんだとしたら、 ことばにできなかったもどかしい気持ちの数々を音楽を通して、身体全体でなんとか表現しようとしていたから、かも知れない。
俺にしてみればキャパオーバーなほどたくさんの人たちとも、音楽を介してなら繋がることもできていた気がしていた。

数年前、テレビを見る生活をやめてから、情報収集ツールは専らラジオに乗り換えたつもりだったのだが、このところの話題は時節柄、例えば北京五輪にバレンタインにと、全く今の俺の生活に彩を添えてくれるような「情報」などではなかった。
このところは番組内で読まれるメール(ふつおた)の内容が嫁(旦那)だ子どもだ、誕生日だ結婚記念日だという陳腐さにも、すっかり辟易している。
俺は(誕生日以外)どれひとつ持っていないので、これらを安直に、ネタに仕立ててメールすることはできない。
だからといって気の利いたリクエストの方で参加できるほどたくさんの曲を、今さらながら知ってるわけでもない。
メールテーマの設定がある場合でも、(恋愛)経験豊富を自称する方々がマウントを取るためだけのようだったり、もっと酷い時には「それ、同居家族がいないと無理ゲーじゃん」ということまである。
…俺が過剰反応してるだけだというのは、理性の部分では承知しているのだが。
よかったね、みんな同じで。みんな一緒で。

俺と同じ独り者で、これらのメールに素直に共感できる人って実はスゴいと思うよ。少なくとも俺は尊敬する。
どうしたら「隣の芝生は…」な感情に陥らなくて済むのか。
ひとりひとりにしてみれば自分の、すっかり当たり前になっている日常を語っているだけだろうに、受け取る俺の側では「朝の乗り換え駅で、苛烈な人の流れの中に取り残されて立ち尽くしている」ように感じられる。
目の前を猛烈な速さで、目的地目指して通り過ぎていく人たちには当然、ひとりひとり違った生活があって違った仕事や出来事の中で生きているはずなのだが、俺にとってはひと塊の巨大な生物、さながら「魚群」のようにしか見えない。ひとりだけ「下り電車」のホームに向かいたい俺にとっては集団暴力…もうすっかり被害妄想だ。
逆に、「上り電車」に乗る流れの人たちにとってみればこんなところで立ち止まっている俺は、邪魔以外の何物でもないんだろうけれど。

最初にこういう気持ちを意識し始めたのは、バンド活動を辞めることになる少し前あたりだった。
幾度かのライブ後、ウチアゲを終えてひとり日付変更線を超えての帰宅先は、ついさっきまでの飲み屋での喧騒が嘘のような、明かりの消えている部屋だ。誰が俺の帰りを待っているわけでもない。
歌うのを辞めるのと引き換えに「そっち側」でいることを選んだ人たちの顔が浮かぶ。
俺の知る限りの彼らは揃って、「幸せ」になっているはずだ。
歌うのを諦めることもなく、器用に「両方」を手にしている人たちも多い。
何よりウチの(元)メンバーたちが(俺以外)全員そうだったりする。
今夜ライブにわざわざ足を運んでくださったお客さんたちも、(俺自身の加齢とともに)いつの間にか年齢層が高くなっていき、見回せばその大多数がちゃんと「帰る場所」のある人たちになっていた。
…俺はいったい、ひとりここで何してる?
客席が見えなくなるくらい白々しく眩しいスポットライトの中で、そんな自身への問いかけが止まらなくなっていった。
そんな俺の問いかけへのトドメになったのは、やっぱりあのバンド初となった合宿、だったんだろうな。
当然泊まりがけなので、スタジオを24時間無制限で使うことができるのはとても魅力的だったが、残念ながら録音作業の中身は蓋を開けてみれば単なる流れ作業で、俺が想像していたクリエイティブな要素が入る余地は全くなかった。
これだったらわざわざ遠出などせずとも、東京の手近なスタジオでナイトパック予約でも入れていた方がよかったのでは。
俺はいったい、何をさせられているんだろう。

このまま音楽を続けていくことで、いったいどんな「景色」が見えると思っていたのだろう…。

今でもひとり、こうして部屋にいて外出もままならない週末には、こんな風に過去のことを振り返ってばかりだ。
両方を手に入れて、あまつさえ両立していけるほどの器用さを、恐らく俺は持ち合わせてはいない。
あの個人的には一番、疾風怒濤だった「2008年」から、この時点でもう11年も経ってたのか。
そして音楽活動から身を引いてみたら、想像通り何ひとつ手元に残らなかった。
誰ひとり残っていなかった。

まだまだ「家族」が当たり前な、この世の中で。
何だか得体の知れない、息苦しさの中で。
こうして独り者がまたひとり、その偏屈を育んでいくのだった。