大晦日顛末。

例年だと大晦日の夜は(実家だったら除夜の鐘を聴きながら)ひとり、心静かに黙々と年賀状を書きあげて、すっかり真っ暗になった頃、個人商店が全てシャッターを下ろして静まり返った商店街を近所のポストまで、時折響く初詣客の下駄の音を耳にしながら散歩するのが、年明けの迎え方だったのだが、今年はもう会社の年賀状と同時期に書き終えてしまったので、さて大晦日の夜はどう過ごしたものか。
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2020年は、思い立ってメールをするようになったラジオ番組に、「お世話になりました」の気持ちとともに年末リクエストのメールを送った。
リクエストメールってホント、苦手(といっておけば許されるマジックワード)。
というか俺のこの手のメールが採用されたことは一度としてなく、すっかり苦手意識が定着してしまった。
恒例の「自分ニュース2020」などもつらつら思い出してみたが、毎晩缶ビールをあけるようになったことと、ラジオ番組にメール投稿するようになったこと、これを契機に8月にはついにTwitterに手を出したことくらいしか思いつかなかった。
「いいね」するときの、自尊心を刺激されちゃう感じとか、本当によく考えられたシステムだよなTwitter
何のハッシュタグもつけずに投稿しても、1時間ほどで閲覧数が2ケタ超えちゃうのも、さすがSNSといった感じ。
一方このブログでのアクセス数は毎日ひとけたを更新中。負け惜しみなどではなく、俺にはこっちの方が性に合ってるし、気が楽だが。

そのTwitter画面の右サイドバーにあるトレンドワードは夕方になって、テレビ番組関連のものばかりになってしまった。
一部のエッセンシャル・ワーカーの方々を除き、大多数の人たちが仕事休みに入った途端、もはや脊髄反射的にテレビをつけるようになっているらしく…毒され方、酷いなぁ。
そうはいってもここをお読みの方はすでにご存じだろうが、俺自身は決して意志が強い方の人間なんかではない。
TVのコンセントを抜いてしまったのも、強い意志からではなく、そこまでしないとつい、リモコンスイッチに手が伸びてしまうからそうしているに過ぎないのだった。

今朝はそんな中にあって、(東武東上線がトレンドワードに上がっていた。
俺は利用者ではないがまたかと思っていたらやっぱり、8時前に人身事故があったらしい。
多くの悲痛なことばや苦情、開き直り(?)に混じって、「ご本人」と思われる呟きが流れてて、投身予告かこれは。
辿っていくとプロフィールに「障害者手帳持 無職」とあったが、まだ20歳代の女性じゃないか。
何の面識もない人だけど、なんとか生きててくれないものか(もちろん便乗愉快犯という可能性もゼロではないが)。

こういう気持ちのままひとりで部屋に籠っていると、俺ももれなく腐るな。
この年末休み中は籠城するつもりだったが、近所のスーパーへ食材の買い足しに出ることにした。
このコロナ禍で、エレベーターは使わなくなって久しい。非常階段にたまった昨夜の雨による水たまりに、今年の初氷(ということは今年最後でもある)。
どんなにツラいことがあったのかは想像の範囲を出ないが、結局「生きてる」って(少なくとも俺にとっては)こういうことの積み重ねかな、とおぼろげながら思ってみる。
スーパーは、活気ある大晦日の昼。
というか客、多くね? 今の心持の俺は、雑踏の中にいた方が落ち着くけど。
かき揚げに海老が入っただけで¥100も値上がるのがあざとくい。年越しそば需要を狙ってるんだな。
通常の、野菜だけのかき揚げはそもそも置かなくなっていて、そういえばこの時期、シュウマイもおせち料理に売り場を奪われてなくなってた。来年は気をつけて、早めに仕入れとこう。

杉岩商店廃業の一件
から、俺のビールのツマミですっかり定番のひとつになったアサリの佃煮を買う。
その主力商品であった貝の串焼きそのものは、おせち料理に入っていると夫婦円満の縁起物だそうだが、その起源は「貝あわせ」なんだそうで…さらりとエロいな日本人。
もっとも元来、性についてはもっと開けっぴろげなお国柄だったらしく、「秘匿すべきもの」になってしまったのは日本では、明治以降の欧米思想が入ってからだったらしい。
串焼きと佃煮の区別がつかない俺にとっては、「おせち」と名がつくだけで値段が倍以上するので、たかだかビールのアテには佃煮で充分だけどな。
そういえば無性に、かまぼこに醤油をつけて食べたくなり、これも酒のツマミになりそうだ。通常の練り物商品棚に100円のものがあったので買った(ワサビを買うのを忘れた)。
餅とふき豆も、おせち料理の特設棚ではなく通常取扱品の棚に、ひとり暮らし用に少量で安価なものを発見したので買い足しておく。
もはやおせち料理とは何の縁もゆかりもない品揃えながら、これで餅があれば、なんとなくそれっぽく見えちゃうような気もする。
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ひとり暮らしをいいことに、ここ数年は大掃除というものをやったことがない。
ただ、「キレイな部屋で年越し」という意識だけはあるようで、1週間前くらいから目についた部分だけその場でちょこちょこといじってたりする。その延長で、毎年なんとなく重点箇所が決まって、片付けたりはする。
物が少なくて狭いバスルームは、掃除も比較的簡単で目に見えて効果が高いので、自身の掃除に臨む気持ちに弾みをつけるためにも有効かと考えたのだが、今年は大晦日までには大寒波襲来との予報なので、エアコンやお湯が使える室内よりも外界と接している部分の掃除を先に済ませることにした。
掃除は高い所から、とのセオリーに従って、エアコンのフィルターを洗う。寒波襲来の年末年始は、大活躍するはずだ。
乾かしている間に窓を全開、換気しつつカーテンを洗濯機に放り込む。その間に窓とサッシ周りの掃除。それにいつもよりやや念入りな掃除機掛けを済ませた。

いつだったかラジオの紹介メールで、妻に促された大掃除を渋った旦那の言い訳が「ただでさえ寒くて風邪を引きやすく、医療態勢も手薄になるこんな時期に、怪我の危険もある大掃除なんてやりたくない」というのがあったが(鬼才現る!)、本当にその通りだ。こんなことで風邪をこじらし、新年早々寝正月ではつまらない…。

晦日の東京都の感染者数報告は1337人で、いよいよ初の1000人超えを記録した。
テレビでは19時のニュースを見逃してしまったら…日付変わるまで放送がなかった。漫然と特別番組なんかやってる場合かよ(まぁ首都圏以外の地域の人たちには関係ないのかも知れないが)。
お世話になったラジオ番組も大晦日の今夜が年内最終放送で、すっかりTwitter上で見知ったリスナーの方たちと、こうして静かな時間を共有できるのは運のいいめぐり合わせだ。
タイムラインで常連リスナーさんたちの名前が流れていくにつれて、本当に様々な人生模様が今年もあったなぁと思う年の瀬、ひとりの部屋。

「ゆく年、くる年」、だったっけ? 2021年の年明け瞬間の光景くらいは、とテレビをつけてみたが、「善男善女」の多さには例年と違って不快としか映らず、反射的にテレビを切ってしまった。
医師会や看護師会が医療崩壊の危機を訴え、知事もあれだけ危機的な状況を説明して「静かな正月休みを」と繰り返していたのに、いったいこの人たちは。
こんな状況下でもニュースを一切見ていないんだろうか。
「自分だけは、特別だ」「特別扱いされる資格がある」とでも?
2週間後の感染者数が楽しみになった。

…2021年も相変わらずこのように、外界にいちいち反応しちゃって、疲れる1年になりそうだな俺。
この調子であと10年もすれば、俺も立派なクレームじじいの仲間入りだ頑張りますっ(違)。