気合だっ!

初詣を早々に断念したこともあり、実家にも戻らなかったので、元日からの新年休みも、何をするでもなくゆったりと過ごした。
年またぎの前夜の就寝は、午前2時頃だったか。俺にしては夜更かしだったが。
「せっかくの休みなのだから何かを成さなければ」と気ばかり焦ってしまうのは、それでも仕事モードがなかなか抜けない、ということだろう。
せっかくの長期休みなのに、職場でのあれやこれやを思い出してばかりいる。呼んでもいないのに、ミニラ・ババァやチーフが「最多総出演」だバカヤロウ。
お陰で頭がこういうモードに切り替わっちゃってから諦めて布団から出る、という朝の繰り返しはなんとなく毎朝10時過ぎ、と自身を野放しにしている割に、これはこれで規則的生活になっている不思議。
しかし身体が怠いね。
これが前夜の缶ビールによる二日酔いじゃないとすると、もしかして新型コロナ、発症しないまま治癒・副作用段階に入っちゃってたんだったりして。
初日の出なんかとっくに終わっているが、まぁ日の出だったらこの時期、毎朝出勤時に見てるから。
同じ県内の銚子あたりまで出かけて行って本州一番乗りの初日を拝む、といった企画を自分で立てたりでもしない限り、別にわざわざ早起きをする必要性を感じない。
初夢、と呼べるようなものも見た記憶はないが、買い物から戻ると知り合いが玄関前に…という夢を見た、ような気もする。これは目が覚めているときの妄想だったか。

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好きです、折り畳み椅子。


久しぶりにテレビのコンセントを繋いだのは、例年なら実家で見ている2~3日に開催の箱根駅伝を見たかったからだったが。
最難関の5区を走る青学の選手は、駅伝への出場を自分の気持ちのなかで折り合いをつけるために「1浪1留」の時間が必要だったそうで、なんだか勝手に感情移入してしまう。自身はこれで引退、最後となる今年も同区間での出場だったが、やはり同じトラブル(足がつった)に見舞われつつのゴールになった。
創価大学の4区のランナーは、昨年も出場した選手で、網膜変性症で暗い所で目が不自由になるという。
この病気を広く知ってほしい、との思いを抱えながら駅伝選手にまでたどり着いたと昨年紹介されていたが、もう3年生か。
その創価大学が4区からトップに立ち、往路はそのままゴールした。
しかし復路では駅伝史上97回にして8度しかなかった、20年ぶりの10区(最終区)でのデッドヒート、駒沢大学が1位でゴール。
やはり伝統校の勝利にかける執念に、新興校はどこか及ばない、ということなのだろうか。
それともやっぱり、伝統校の選手層は厚さが違うということか。
走るからにはどの大学も優勝を目指しているはずで、その思いの強さに差があるとも思えず、素人の俺には全くその違いがわからないが。
2位、創価大学のアンカーは、悔しくて今夜眠れないだろうなきっと。
こういう団体競技特有の、「結果」によって周りも意図しない形で発生しちゃう同調圧力が俺は何より苦手なのだが(中学時代の全国合唱コンクールの後遺症か?)、感動しちゃうのも間違いなくこういう場面で、どこかで「俺には無理」と思っているからこそ、ちゃんとできる人たちはスゴイと認めざるを得ないんだろう、多分。
若いうちに経験しておいた方がいいことには間違いない。
そしてだからこそ俺は、こんな何をやっても中途半端なオトナになってしまったのだろう。
こんな余計なことに思いを巡らせてたからか、俺本人的には昨年ほど競技自体に入れ込めた気がしなかった。

しかし初日の出も初詣も、学生駅伝の沿道も、「大幅に減った」といわれてもニュース画面上からはそれが伝わってこないくらい、人だかりがしていた。
箱根駅伝も、主宰者側は「沿道に出ての応援はご遠慮ください」と呼びかけてはいたが、責任逃れの方便くらいで所詮は、いっただけ。どうせ警備員を配置するなら、強制排除くらいしてもよかったのでは。
見終わって出た玄関。俺はタバコこそ吸わなくなったが時折、室内換気を兼ねて、冬の冷たい空気の中でぼーっとしているのが好きなのだ。折しも隣室の女子大生がでっかいトランクを引きずりながらご帰還するところに出くわす。
このさなか、どこか遠方へご旅行にでもお出かけだったらしい。
政府から仮に緊急事態宣言が出されても、もう誰も生活スタイルなんか変えないのではなかろうか。
「自分はちゃんと対策をしている」
「自分は(無症状)感染していない」…。
インフルエンザは発症してからウイルスが身体から放出される(つまり他人にうつる)が、新型コロナウイルスでは無症状な潜伏期間に身体から放出されるという。
このことは俺の記憶が正しければ、かなり早い段階で専門家から指摘されていた。
そういうわけでクラスタの「囲い込み作戦」段階に失敗してしまった現在、感染経路不明者の推移を俺は注視している。
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新型コロナウイルスが人間に突き付けてくる生活変容は、「それ、本当に必要なの?」という見直し、考え直しだと思う。
通勤電車、仕事終わりの上司との飲み会、N●Kの集金人との接触、政治資金集めのパーティー…。
直接接触がNGだからって、何でもかんでもネット上で済ます、というのも俺は違うと思っているが。

「学校」という集団教育システムも、とっくに限界にきている。
弱い立場の生徒側が取れる「最後の手段」であるはずの登校拒否が、これだけ増加している時点で見直すべきだったのだろう。
23区内の都立高校で初のクラスター発生案件は、体育会系部活動の宿泊を伴った遠征によるものだったらしい。だとすればさすがにこの時期としては不適切な行動だった。
とりわけ、いわゆる体育会系では監督(に準ずる立場の人)の命令に絶対服従なので、他ならぬ部員である生徒自身がどんなに感染が心配でも参加せざるを得ない、といったコメントも見られた。
学校を卒業して社会に出れば、「社畜」な現状とみごとなまでに相似形で、そういう意味で学校教育は少なくともこれまで、「正しい社会人」のあり方養成機関として機能してきたようだ。
自殺者の増加も同じで、学校ではいじめだったり(それすら認められないことの方がまだまだ多いが)、個人の「気合い」が足りなかったせいにして、未だに改められることがない。

多様な個人が受け入れられていない、社会システムの方が間違っているのだ、恐らく。

1月といえば、各自治体とも成人式実施の可否が一気に不透明になってしまい、大騒動になっているようだ。
俺自身は当時出席できなかったから、開催内容も知らないし全く想像がつかないのだが。
今の形での成人式って、本当に必要なのか?
まずそうまでして出席しなければならないものなのかどうかが、わからない。
俺はその後の人生になんの支障もなかったし、ごくたまに同級生と逢っても、思い出として話題に上がったことすらない。
成人を祝うのに親のスネをかじって着飾る風習はもっと、わからない。
ファッションショーやコスプレがやりたいんだったら個人でやればいいだけの話で、新成人にもなって早速、「太いものには巻かれとけ」からスタートするっていう風習にも、なんだか矛盾を感じてしまう。
ついでながら、「三密」を理由に成人式を中止にするなら満員電車の方を先に中止にしてほしい、と政府・自治体のちぐはぐな対応を指摘する辛辣なご意見も見かけた。

結局、何をするでもなく16時になってしまい缶ビール、今日の1本目を開ける。
人間、諦めが肝心だ。
しかし、これじゃいつもの週末休みの過ごし方と何も変わらん。
そんな生活が数日間続いたせいか、元日夜には初鼻血(笑)…さすがに飲みすぎたかこの連休中。

正月4日にもなってようやく、菅総理大臣サマの年頭記者会見。
やればできるんじゃん記者会見。
でも本当にこの人のことばって、全く響いてこない。
このタイミングで危機感が感じられない話し方しかできない人が総理大臣だったっていうこと自体、この国にとって巡り合わせが悪すぎる。
そもそも伝えようという熱意が感じられないのと、俺にとっては事前に報道されていた内容ばかりで目新しい情報はひとつもなく、よくあの会見からニュース動画をまとめられたよな、とむしろマスコミの編集手腕に感服してしまう。
久しぶりに拝見したせいだったのか、記者からの質問には結局、まともに答えられてないし。というか官房長官時代のように意図的にはぐらかしている感じでもなく、(アタマちゃんと、回ってる?)という印象だけが残った。

結果論とはいえ、年末年始休み明けのこのタイミングで緊急事態宣言とか、「経済活動に冷や水」以外の何物でもなく、なんでこの時期だけは何としても避けることを最初に考えなかったのか…先見の明は全く、期待できそうにない。

「国民のみなさまとともに」…えぇいっ、寄ってこないでください。

「今さら感」が禁じえず、飲食事業者であっても自治体HPに店名が掲載されるくらいの「罰則」じゃ、もう営業自粛なんかに従ってくれないところも多いんじゃないかと。何しろ生死そのものがかかってるし。
我々市民がもう、完全に緩み切ってしまってて自粛生活なんかに戻れなくなっちゃってる。
もちろん最前線の医療関係者の方々のことを想像できたら、そんなことはいっていらんないのだけれど。

今月はいよいよ16(土)から、大学共通試験が始まる。
昨年は、会場で試験監督を担当された方のコメントをネットで読むことができたが、当時はまだ何事も急ごしらえだったせいで、試験会場では何の対策らしい対策も取れておらず、自身も感染の危険を感じながらの職務になったという。
そりゃそうだ。その先の長い人生を思い描いて1年間頑張ってきた受験生たちは、多少体調が悪いくらいでは無理を圧してでも試験会場に来る。試験会場では、今思いつく限りの対策を講じようとも、ともかく数多くの受験生たちが日本中を移動する…。
文科省だけが(コロナ対策に対して)何も具体的な対策を打ち出せていないようで、旧来の根性論を繰り返しているだけ、に見えてしまう。
日頃から文句ひとついわない優等生たちばかりを相手にしてきたから、と考えてしまうのは、少し意地悪というものだろうか。

ともあれ俺の年末年始休みも、今日まで。