ネット周りと、趣味のあり方。

今さらながら、某ラジオ番組限定で使用中のTwitterの方は、どうやら既婚者(子持ち)ばかり(そういう番組が俺にとって居心地よかったのだから、仕方ないんだが)らしいことに気づく。
別に、いいトシして独り身でいることを誰かから具体的に責められたりしているわけではないのだが、のろけられたり愚痴られたり、何しろ話題が全く合わない気がする。
どうやら俺の周り中の世の中全てが、今の俺にとってはそんな感じに映ってしまう(これは俺の側の、心眼「フィルター」の問題なのは、アタマではわかっているのだが)。
何のことはない、これでは現実世界と、何ら変わりがない。

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手稲っ?!


その週の番組でのメール・テーマは「やめられないこと」で、月曜日はその「癖」編だった。
ざっと思いつく限り書き出してみると、自分でもビックリするほどたくさん思い浮かんだものの、
「やめられない」こと、という以上、求められているのは反復性だけじゃなく依存性を含んだ話だよなこれは。

「ねぇ どうして すごく暖かいこたつに
潜っている というだけで ルルルル
おならが 出ちゃうんだろう…」♪

などとバカなことをTwitterに書き込んだところ、奇特な方が反応してくださったのだが、

「年々悪臭が酷くなってきて、自身の年を感じている今日この頃です…。」

と、下ネタ直球モードのまま返信してしまい、さすがにドン引きされちゃったらしい…(ここはいただいた反応への「同意モード」だったよなー、俺のばかばかばか…)。

「てにをは」を間違えたまま、というか別のことば遣いをすればもっと伝わりやすかったのでは、と投稿してから後悔することもままあって、
直後に気づくも「いいね」されてしまい、
引くに引けない…ということも、しばしば。

なんとはなしに自身のコミュ障ぶりを自覚する機会が増えてしまっただけのようで、ブログも含めてネット周りからはこのところやや距離を置いていた。
元々このブログにしても、別に「夏休みの宿題」じゃないので、毎日更新とか、はなから考えたことはなく、書きたいことがあれば書くし、これまでもプライベートでショッキングな出来事があったために1か月音信不通、なんてことも結構あったりする(スミマセン)。


この頃はどっちかというと「独り身音楽活動」の方が面白くなってしまい、とはいえ今のところは歌う(録音する)手間よりも楽器の手軽さ、に流されており、お気に入りの映画のサントラCDから、ピアノだけでなんとかなりそうな曲を耳コピしては楽譜に起こして弾く、というループに嵌まった。
もちろん即弾けるようになるほどの腕前は持ち合わせていないが、徐々に形になっていく過程と映画の場面を想像しながら弾いていると、ひとり遊びとしてはかなり充実した時間の過ごし方だ。
というか自分のミスタッチを棚に上げると、安物だが電子ピアノで奏でる「音」の美しさが、楽しい。
人前に出す出さない、とか何らかの形にしよう、とか全く無関係に、やりたいと思ったことを無心・無欲にやっているわけで。
そのこと自体を通じて、自粛生活で何かとふさぎ込みがちな自らの心が癒されている。
案外「趣味」って、こういうものだったよな、という気がしている。
まぁ機会があれば、人前に出せることもそのうちあるかも知れないけど。