10年の長さ。

近所のスーパーで昼食を買い、これまたいつものように近所の公園で済ませて部屋に戻る途中の交差点で、職場の上司から電話。
俺の席上の蛍光灯が、派手な火花を出して切れたという。
先日買っておいたストックの置き場を口頭でお伝えしたが、これってもしかして。
あの震災で命を落とされた方々からの、メッセージか何かか?
などと、つい結び付けて考えてしまう。
そういう風に冒涜したり茶化したりしちゃいけない、とは思うんだけど。
東日本大震災からもう10年、まだ10年…。
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あの年の秋、仙台の音楽イベントに微力ながらも地域振興のお手伝いを、との思いから出かけて行ったものの、まだいたるところに「傷跡」が残っていて、カメラを向けられなかったのを思い出す。
テレビ・ラジオでは様々な防災の知恵が紹介されているが、この間編み出された暮らしの知恵、これら全てではないにしても、被災者の方たちはこんな非日常な10年を生き抜いてこられたのだと思うと、何ともいえない気持ちになる。

あるテレビ番組で紹介されていた、6歳の男の子(当時)を亡くした福島の女性。
「新しい生活の場面や職場で自己紹介するとき、家族の話ができなくなってしまった。」
「活動的な人たちだけを見て、『東北にはもう、元気が戻った』などと決して思ってほしくない。」
被災者の心の底からのことばに、見ているこちらも涙なしには見ていられなくなった。
福島出身でこの10年、復興活動にも精力的に取り組んでこられた俳優の西田敏行さんも、ことばを失ったまま涙を流されていた。
辛い出来事を、悲しい心持を、勇気をもってことばにしてくれて、本当にありがとう。

何を失ったか、とかその捉え方は人それぞれだけど、抱えきれないほどの悲しみに襲われた時、それまで当たり前に流れていた時間が止まったままになるのは、俺にも経験があるからわかる。
10年が長かったか短かったか以前に、長さという感覚がなくなり、日々「同じ時間」の中を繰り返して生きていくので精一杯になってしまうものだ。
雪のように深々と、心の中に積もり続けるものがあって。
それは決して、軽くなることがない。

湾岸倉庫で縁あって一緒に働いていた元パン職人の若者。
ときどき明らかに情緒不安定になっていたのが傍目にも気にかかっていて、作業の合間で雑談できた機会に、俺には少しだけ「福島から流れて来た」という心のうちを明かしてくれたことがあったけれど。
今頃はどこで何をしてるかな…。
生活が落ち着いて、気持ちも少しは軽くなってくれてるといいのだが。

今年、「14:46の黙祷」は偶然にも、仕事休みだった自室から。
こんな年に一度の俺の「習慣」も、早9回を数えることになった。
震災当日のことはもちろん、この国の誰もがショックを受けた出来事だっただろうけれど、俺自身は幸いにも被災らしい被災はしなかったので、自分の当日の行動記憶よりも、その後に見たり聞いたりした話や出会いの方が大きくなりつつあるようだ。
これもやっぱり「風化」というものなんだろうか。
携帯のアラームは、来年の今日の日付でセットをし直した。
今日もたくさん、涙が出た。