何かをやり切った、というよりは「飽きた」という感覚が多分、一番近い気がする。
雑多な演奏スタイルのバンドが次から次へ出てくる屋外イベントみたいな場に偶然居合わせて、アカペラの演奏があったら足を止めることには何の抵抗もないが。
意図的に避けようと思っているわけでも、嫌いになってしまったわけでもないようだ。
だが自ら好んで、アカペラ・バンドばかりが金太郎あめのように次々と出て来るイベントには、進んで足を運ぶこともないだろう。
自身が長いこと、あれだけ夢中になってやってきたことのはずなのに、他人の演奏を聴いても全く気持ちが動かなくなってしまった。
以前のように演奏を耳にして、「自分ならこうする」といった思いが止めどなく湧いてくることもなくなった。
思い返せばそれはもう、スゴい奴らばかりが周りにいたので、今更「全てを声だけで」と言われたくらいではもう驚かないし。
何より演奏形態としてのアカペラは、歌う側としては不自由に思えて仕方がなかった。
自分はなんであんなに面倒くさくて疲れることに、一生懸命しがみついていようとしてたんだろうか。
恐らく一度辞めてしまったら、自身の年齢のこともあり二度と戻れる気がしなかった。
そういう思いから、一種の脅迫神経症みたいなことになってたのかも知れない。
しかし実際に「足を止めてみた」ら存外、未練も残っていなかった。
40年も携わってきたのに、飽きっぽい自分にはもう力なく笑うよりほかない。
これまでのように、(他のバンドで)もうワンチャンあるかも、などと思っていたら、このコロナ禍の中にあっても気持ちがここまで休まることもなかっただろう。
自身があのままのスタイルで演奏活動を続けていたら…ざっと想像してみただけでも、
演奏機会や練習スケジュールが思うように組めないことにイライラし、
オンライン練習の進め方から、
ライブ会場でのお客様への注意アナウンスのあり方、
ひいてはメンバー間での感染予防に対する考え方の違いやなんかにも、ストレスを感じるだけの日々になっていただろう。
いち早くマスクを外せるのが今どきの「知識人」、という風潮もあるようだが…その知識人こそ、後遺症であるブレインフォグにかかると一番、公私ともに「致命傷」を負うはずなんだけど。
一年以上経っても変わらない社会状況に、演奏者としての俺はもう神様から「タオルを投げ入れられた」んだと思うようになった。
そして今の社会状況下で一度でも立ち止まってしまったら、今の俺のようになる。
という無趣味オッサン・モデルケースな毎日を過ごしている。
これが千葉に引っ越してから俄かに興味をもつようになった吹奏楽だったとしたら、マイ楽器を持てるだけの財力のない人は学生時代の終わりが即ち、音楽活動の終わりだったわけで。
そう思うと辞め時を失ったまま、よくもまぁ続いてきたもんだ我ながら。
自身の演奏から「老い」を感じさせることなく、コンディションが一番いい時に手放せたのも、結果的によかったと思っている。
たとえ俺自身の人生であっても、音楽活動をやめた俺が「主役」になることは公私ともにもう二度とあるまい。
「ウチアゲでの1杯のために」、そんなことが楽しかった時期も、確かにありました(笑)。
あの頃のビールのおいしさなんか、はるか記憶のかなた。
忘れてしまえば日々ひとり晩酌・缶ビールは、それはそれでまずいとも思わない。
俺が欲しかったのは友達、ではなかったらしい。
コロナ禍で外出もままならない期間には、無意識にバンド活動ものを選んではコミックやラノベを漁るように読んでいた。
何にせよ人前での演奏に落ち度があってはいけないとの思いから、個人練習(課題)が四六時中、頭を離れなかったものだが、一切を辞めてしまった今、ようやく自分の時間ができたので。
多分、きっかけは遅ればせながら、某ばけものアニメ(笑)との出会いだった気がするが、
nara-piyo2204.hatenablog.com
これ自体、そもそも「未練」と言えば言えなくもないか。
登場人物を通じて語られる、特定の曲に対する思いやエピソードは、バンドメンバーが何の予告もなくもってくるアレンジ譜よりも、まるで音楽に詳しい親しい友人から勧められたように、何の抵抗もなくすっと俺の心に入ってきた。
中でも物語の鍵になるような曲は、それなりに有名なんだろなぁと思いつつ、これまで一切耳にしないできた自分が恥ずかしい感じもあって、一時期は片っ端から中古CDを買い集めていた。
これはこれで、探し出す手間自体が楽しかったりする。
音楽が惹起する感情、「音が奏でる色」を文章にするのって、本当に難しい。
それを難なくやってのける、絵師、著者陣。
結果的にようやく、聴く音楽の幅をようやく広げることに繋がった、のかも知れない。
それがまた、皮肉なことに「古巣」の世界の狭さを強く実感させ、ますます足が遠ざかることになった。
音楽活動に限らず、コロナ禍前の自分に戻りたい、と思わなくもないけれど、
「知ってしまった」僕らは、もう戻れないことも知っている。
とはいえなにせ関わりが長くなってしまったので、すすんで音楽そのものを手放す気はさらさらない。付き合い方はその時々だ。
あいまいで簡単にはことばにできない、伝えたい思いは、今も毎日とめどなく溢れてくる。けれど俺がそれを伝える術は、文章が書けるわけでも絵がかけるわけでも、ましてや芝居ができるわけでもないので、結局音楽に落ち着いてしまう。
「飛沫抜き」だって、音楽は楽しめる。
ピアノを弾くのもドラムを叩くのも、今の俺の週末の楽しみになっている。
まぁいいじゃないか。
俺がやりたかったから始めて、やりたいことを、やりたいように続けてきただけの話だ。
そんな奴がまたひとり、歌うのを辞めたくらいで結果、誰に惜しまれることもない。
やりがいのある仕事と充分な報酬、幅広い交友関係に嫁と子ども、充実している自身の演奏活動に飲み会でのバカ話、派手にカネのかかる趣味に自家用車…。
今の俺が、なにひとつ持っていないものばかりだけど。
比べる人が身近にいなければ、誰ともつながってさえいなければ、ひとりの時間はこんなにも心豊かで自由なのだ。
幸いなことに、趣味的にはそれなりに「豊かな毎日」を送れている。
明日、何かのはずみでこの世から消えることになっても、何の未練もない、という「幸せ」の中にいる。
従って、これらを背負った奴らが親切心ぶって、むやみに俺に近寄ろうとしてきたとしたら。
俺には俺なりのこのささやかな「幸せ」を守る権利があるので、「怪我」をさせても責任持てない。
とまぁ、精神的には成長するどころか、音楽活動を始める前の頑なな自分にすっかり戻ってきた。
この先、自分の気持ちなんていう形のない不確かなものが、いつどういう風に何がきっかけで変わるかなんて、本人ですらわからないけど。
それだけが、「救い」。
〔追記〕
このところ偶然、J-popの先進性、国際性についてのテレビ番組を続けて目にする機会があったのだが、
あー、そういうことだったのか
と何だか一連の自分の行動が腑に落ちた気がした。
「昭和」で止まってる場合じゃなかったのだ。