トージバ、行ってきました。http://www.toziba.net/

小岩南口は、葛西臨海公園行きの2階建てバス(休日のみ運行)に乗るために、来たことがあったところだった。古くからの商店街という感じが、好ましい町並み。対する北口に出てみると、壁のようにヨーカドーが立ちふさがっていて、車の乗り入れもままならない感じ。俺のような他所者にはこれ以上歩き回るのをためらわせる。無計画な都市計画のツケ、という印象。
南口に戻るとバス通りの両側、狭いアーケードの柱ごとに、「傘はつぼめて交互通行」の標語なんかが貼ってあったりする。なんだかほっとする。

一本裏手になる、その元銭湯の建物は、入り口角のコンビニのネオンが目立つのですぐにわかった。徒歩一分ほどの、駅前一等地。車が通り抜けできない道なので、歩行者が行き来するだけだが、昔ながらの銭湯の「門前町」な雰囲気。
ところがまず、俺のように単身で来るとなんとも入りにくいのだ。まず入り口にカウンターらしきものはあるが、人影がない。こちらから奥へわざわざ、「すみません」と声をかけるのもためらわれるし。
とりあえず足を踏み入れようと思うが、銭湯のままの下足箱があって、「履物は下足箱へ」の表示。元々の銭湯の掲示を残しているだけなのか、履き替えなければならないのか判然としないが、とりあえず靴を脱いであがる。この時点でようやく奥から、人の動きが感じられた。

銭湯時代の脱衣所が、そのまま居酒屋になっている。女湯との仕切り壁際の長椅子がそのままで、テーブル席が3つほど。残りのスペースは、フローリングにしつらえた床席。天井が高い構造もあって、これからの時期はちょっと寒そう。元々の蛍光灯は外してあって、壁に這っている白熱灯は暖かいというよりは、少し暗目。飲む人たちでにぎわっていれば、ムードがあっていいということになるのだろうが、あいにく早すぎたこの時間帯では、客は俺ひとり。とりあえずビールを頼む。
料理の味も、ハートランド・ビールも、実に申し分ないのだ。なんだか落ちついてしまえる居心地のよさは、しっかりした銭湯の造りの偉大さだろう。

前もって電話くらい入れておけばよかったのだが、知り合いの担当者ともすれ違ってしまったらしい。今日はお休み、とか。
なんとも締まらない結果に、ビールに酔った勢いもあって、その場のスタッフおふたりに言いたい放題いってしまうオヤジ体質。が、地元に根付く、とか、効率よく自分たちの活動をPRする、とか、言うのは易しいが、うまくいっていないのは自分の職場も同じことなのだった。自分の放ったことばが自分にそのまま返ってきてしまい、とってももどかしい思いだけが残った。
番台あたりでこんなハナシをしている最中も、銭湯時代の常連だったというオバサン二人が覗き込んでいたので、「お客さんだよ」と促す。下町気質の中年女性お二人は口さがなく、「呼び込みでもしなけりゃ、駄目だよ。ナンならやってあげようか、ビール一杯(の交換条件)で」。期せずして、俺と同じこと考えたらしいナ。

食料自給率の問題だとか、農業の後継者問題だとか、食料の安全性だとか。メニューに本来の事業コンセプトについても記されている。ただ、地元の人たちにとってはいきなりこれから理解しろというのが無理な話で、まず銭湯時代同様な集いの場として使ってもらい、常に人が自由に出入りできる溜まり場になっているという状況をこしらえてから、機会をとらえてお互いに語り合い、活動を理解しあえる場にしていく手順がないと、元々世代による意思疎通の難しさもあるし、なかなか協働的な活動までもっていくのは困難なような気がする。
なにしろ本来が、地域コミュニケーションの拠点だった場所だ。その絆が本格的に途切れてしまわないうちに、「次の手」を考えたいところ。学園祭のノリに終始してしまっては、あまりにもったいない。

なんだか苦言ばかりを呈するカタチになってしまいましたが、昭和生まれ昭和育ちの私としては、そのどっしりとした建物を久しぶりに堪能できたわけで、「一度行ってみたい」というお知り合いがいたら、お声がけいただければ俺がご案内しましょう。っていうか何より俺も、もう一回行ってみたいと思ってます。ゆったりした時間の流れる、あの場所に。もちろんスタッフのみなさんも、一旦お店に入れば接客業として申し分ない振る舞いをしているし、時間帯が違えば全然違う状況になっているということだってある。たまたま俺が行ったときはこうだっただけで。ただねぇ、ホントもったいないくらいの場所なのよ、手厳しすぎたらごめんなさい。とにかく末永く営業してほしいとの思いだけです。
バンドの名刺を持っていけばよかったが、手元にあった会社の名刺をお渡して帰ってきた(名乗るのを忘れて今まで会話していたわけか)。