その後、体験記

なんだかんだ結局、おのれも締め切りに余裕をもって提出してたりする、例の「体験記」なわけだが。
ま、日ごろイベントだなんだとお知らせをいただきながら、そういう形ではなかなか協力できていないので、自分なりに参加できるカタチだけでも、参加しておきますか。
それにしても日記と違って、気合入れて表現を整えようとしすぎたか、なんだか堂々巡りが始まってしまい、手に負えん、という段階で自己責任を回避、提出した格好だ。
先日、担当者と廊下ですれ違った際、「書き直しする気はないか」と聞かれた。
そのときは別に気にも留めず、まぁいつもの編集サイドからの要求だろうし、どうせいつもの俺の悪い癖でもある、既体験者として上から見下ろすような、センセイの訓話っぽい「手癖」が出てしまったんだろう、くらいに考えていたのだが、それ以降とりたてて反応のないまま時間がたつにつれて、
「もしかして、ダメだしくらったってヤツか・・・?」
という、疑心暗鬼。
そう考えれば考えるほど、かつて連載ホサれたときと微妙に状況が似通っているような・・・。
その際、「もっといいたいことがあるんじゃないの?」とも。
本当にいいたいこと、書きたいことは、ごめんなさいごめんなさい、多分書けません。
俺にもヒトの数万分の一くらいは、世間体というものがあるんで。
まぁ先方の、書き直しに伴うスケジュール変更と手間を考えると、どうせ見知った仲な俺の文章など、真っ先にボツにしてもらっても、ぜんぜんかまわんのだけど。
問題はこの、一連の「出血大サービス」作業に伴って、俺の側に噴出した副作用で。
ここんとこ何を始めるにも過去に思いを馳せるばかりで、人生万事、うしろむきっ!
こころの中のわだかまりは、とにかく吐き出せば楽になれる、という通り一遍の考え方は、実は素人療法であると、故・中島らも精神科医との対談で書いていたっけ。
パンドラの箱」というものも、おそらく誰もが心の中に持っていて、これはこれで、取り扱いが難しい。
いずれにせよじっとり落ち込んだままでいるよりは、こうしてなにかにつけ外界から刺激をもらっている方が気分も楽、ではあるが。