花見会の際に、手渡すから声かけて、といわれていたのをすっかり忘れて(酔い潰れて)いたので、週明けに改めて顔を出した。
ありがたくいただいて、目を通すのは自分の文章ではなく、顔見知りの数人の部分。
・・・最初は斜め読みするつもりが、それぞれの重すぎる経験、内容にすっかりハマってしまった。最後に目を通した自分の文章が、楽天的に思えちゃうほど(!)
それぞれの経験は、とっても重いけど、なるほど、こういうことばを使えばいいんだ、とか、こういういい方の方が伝わりやすいな、とか、関心することもしきり。
文字数も自由だったせいで、普段無口だった人がとっても長文を書いていて、なるほどいろいろ伝えたいことを内に秘めているんだな、と思わされたり。
期せずして先日の花見でも、心理関係の資格試験に合格したという人と話していた。
「嬉しいときは素直に嬉しいといえることが、大事なんだよ」。
辛いことを辛いと認められないほど辛いことに遭遇したとき、こころを凍らせるしかなくなる。問題はそれが、何年間にも亘ってしまった場合だが。
「そう説明されると、よくわかる」
まさにそんな「吐露」が、文章の行間にびっしりと記されている気がした。
・・・俺も、こうじゃなかったら、今ごろ歌っていなかったかも知れないし。