ペンギン「生誕」5周年の日。

といわれても、途中から参加の俺にとっては、個人的にはそれほどの感慨はなかった。むしろ先日の銀座で、「丁度100ステージ目」といわれた時の方が、数字的な重みはあったりして。
それじゃ、俺的ペンギン記念日はいつなんだろうか。改めてペンギンとのお付合いがいつ始まったのか調べてみた。
既にPCからは削除してあり、CD-ROMに焼いてある日記を掘り起こしてみる。
意外なことにその先の音楽生活を決める、自分にとって重要な決断でもあったはずなのに、この時期を含めて前後半月、正味一ヶ月ほどがブランク。念のために当時まだ、StuckのHP上にあった「下丹田通信」の過去ログもチェックしてみたが、同じだった。
どうも当時は、まだリバウンドによる症状がそれほど安定していない春先の状況だったようで、持ったペンを血まみれにしてしまうよりは楽だったはずのキーボードにすら、向かう気力がなかったらしいとわかる。こういうカラダにまつわる記憶の方はすぐ思い出せたが、この時期が俺的「ペンギン創世期」とわずかに重なっていたらしいというのは、正直意外だった。
改めてちょっと、過ごして来た時間の重みを感じた。
それが5年にもなれば、当事者としてはもっと重いことだろう。


日付けを特定できる資料としてはどうやら、2003年の手帳に書かれていた「5月20日 PF練」という汚い文字が最初。これが、正式なメンバーとしての初参加だった。
実はそれ以前に、潤哉さんのヘルプということで2回ほど、4thパートとして練習に参加させてもらっていた(3rdはナカチョ)。こっちは同年の3月14日が初参加となっていた・・・ありゃ、過ぎちゃってたのね。