・・・というか久しぶりの外出記録

以前、といってもかなり前だが、中華弁当を買った店が国分寺のデパ地下に、見当たらなかった。次点で栗オコワの弁当を買って、飯能から先のボックスシートの各駅停車、車内でぱくつく。
終点・西武秩父駅から、秩父鉄道のお花畑駅へは徒歩連絡。ここから長瀞・寄居方面とは逆に、荒川に沿って遡る、山行き電車。
平日なので元々人出は少ないが、三峰山ロープウェイが保守点検で運休中とかで、普段以上に寂れているように感じてしまう。駅前に横付けしている秩父湖方面へのバスに乗り換える客も、こころなしか少ない。
朝、熊谷から下ってきた3000系は2本とも、普段と何も変わった様子もなく側線に留置されていた。ここで今日初めて、カバンからカメラを取り出したが・・・電池切れ・・・(TT)
程なく来た、これも見慣れた青とクリーム色の村営バスは、真新しいHINOの車体になっており、車体の表記は「小鹿野町」・・・。どうやら合併*1によって、「両神村」の名は既に消えてしまっているらしい(その割には、このバスの行き先は両神村役場のまま)。
贄川(にえがわ)、西小前(にししょうまえ)、柿平(かきだいら)、大指(おおざす)と、自分にとっては懐かしい地名が続く。大指の集落のすぐ先に、「両神村」との境界を示す看板があったのだが、県道の境界に立つ真新しい看板はもちろん「小鹿野町」。ここから急に、道路が立派な2車線になっているのが、お笑い官僚主義ニッポン。ついこの間までは、狭い片側交互通行がやっとの道を、お互い譲り合いながらバスや自家用車が走っていたものだが・・・野趣「減」点。「国策」という名の札びらに頬を叩かれ、ひざまづいてしまったというのか・・・これはもちろん、ヨソ者(俺)のタワゴト、ヒトリゴト
帰りのバスを待つには立派なバス停のアズマヤでも、倒れたままの折りたたみ椅子、古いままの電車への接続時刻表、長いこと補充されていない様子の「駐在所通信」・・・なんだか全て廃れ具合の原因が、「合併」のせいに見えてしまう。お互いに顔の見える、小回りの効く行政ではなく、地域内画一化の方向が、目に見えない部分で徐々に、そして着実に進む。
一方で、道を行きかう制服の中学生が、相変わらず会釈をして通り過ぎていく光景は変わっていないのが、なんだかほっとする。

*1:2005年10月1日、両神村小鹿野町に併合