そうやって上がるステージ上

最近ようやく、身の引き締まる緊張感よりもクリーンヘッドが勝る感情の切り替えができるようになったようだ。自らの緊張と戦ってはじき返す、というスタンスではなく、そういう自分もひっくるめての「受容」ということなのか、「眠り狂四郎」・・・じゃなかった、なんだかボーっとしているように自覚されることが多い。
自分やメンバーの音に対してある程度集中すると、どうもそういう境地になっているようで、演奏としてみた場合、今の自分がどうなっているのかは、ちょっと本人にはわからんのだけど・・・歌い口が淡々としすぎていなければよいのだが。
ただ、唄の聴き方はお客さんそれぞれだから、誰でもが泣けるようなバラードを情感たっぷりに「歌える」ことは大事だけど、「泣け〜」というのがミエミエな歌い方をするような歌い手にはなりたくないなと思う。たまたま演奏に耳を傾けていたら、自らの 身の上 感情経験を 省みる 想いおこすきっかけになって、自然に涙が・・・出るか、思わずニヤけてしまうかは人それぞれ、わからんが、なんらかの「ゆさぶり経験」に立ち会えたのなら、それで十分だ(それだってできればすごいことだが)*1。そのとき浮かぶ想いは人それぞれ、それを歌い手の側がコントロールできると考えるのは、(音楽に対して)不遜じゃなかろうか。歌い手は淡々と事実を述べる役回りであって、先に泣いてしまっちゃ多分、安っぽい「闘病記」と同じになってしまう気がして仕方がない。
もっともそもそも、演奏上のいろんなことが気にかかってしまい、聞いてて何も想いを馳せられない、という演奏レベルじゃまずいだろうが・・・。
だから唄に自分なりの解釈を持ち込んで情感を込めて歌う、ということには普段、あまり力をかけていない。
そういえば「満月の夕」を今夜客席で聞いてくださった方から、打ちあがって飲んでいるとき、お声掛けいただいた。なんでもご存知だった「満月の夕」と歌詞が違っていたのが気になったとかで、別バージョンがあるらしい(J氏*2はご存知だったみたい)。そちらの方はもっとあの震災の具体的な情景を織り込んだものだとか。こういう話題でも、お客さんからお声掛けいただけることも嬉しかったが、俺個人としては、聞いている側が必ずしも震災でなく、いろんな意味で感じ取れる今の歌詞が、自分たちが歌っている意味があるような気がしている。実際に比較してみたわけではないけれど。
そうそう、「眠り狂四郎」状態とはいっても、もちろんちゃんと、客席も見えてますから。
あそこの席の男性のお相手(女性)、さっきと違うヒトだよね・・・お仕事関係の方ですかね(うらやまし)。
すっかり暖機運転も終った喉は、いつも通り順調でした。コンディションの帳尻あわせは今回もどうやら滑り込みセーフ。ほっ(ハラハラしたぜぃ。今回はリハで一緒だったメンバーも結構心配させちゃったかもしれないけど・・・スマン)。

そんなこんなで予想Guyに、静かで自分たちの音にも集中できる、とってもいい演奏環境を提供していただいた今夜のお客様たちへ、せめてものお礼に(というか、これならいけるな、ということで無理やり)、最後にナマ声で「中央線」を追加して、無事終演。なんだか今日は、かなりペンギンらしい、いい演奏ができたんじゃないか。本番中もお互いの音に集中していたように感じられたし、それなりにお客さんからも曲目に反応を返していただき(年齢層が近かった?)、お互いリラックスもしていたし。
それにしてもココでの昨年末のステージの時には、その後どうなることかと思ったよな。ペンギンの演奏で「まこっちゃ〜ん」コールは、後にも先にもあれ一回(今後もごめんだが)。

*1:何か書き直してみてもぴったりした表現ができない。どんどん言い方が尊大になってしまうなぁ・・・

*2:カ●ラさんじゃないよ〜。どうもこう書くとそんな気が…