ヒトとしては、

一緒になってなにがしかの「仕事」をやりとげる以上の充足感はないわけで、同じ5人組でも顔ぶれが全く違っている中に、なぜか自分もいるという不思議。ウチアゲのビールが美味いわけだ。

思い返してみれば学生時代、40人からの合唱団がいちいち動くための手続きや調整が面倒くさくなり、アカペラを始めたんだったよな俺は。今もこうして歌い続けている理由のひとつになっている。翻って楽器バンドはいかにも鈍重なイメージが強かった*1ので、アコースティックな「モバイル楽器」(?)のバンドがこんなに機動力があるとは思わなかった。基本的には「個人芸」なひとたちが、ある時間、ひとつの目標に対して集まって何かしらご覧に入れる、という状況だ。これが俺にとって楽しくないわけがない。
そういうわけで、早2回目のステージ。今回はあくまでもアコースティックな音楽を楽しむための空間、というお店のコンセプトに則り、ドラムとはいわず「パーカッション」での出演。アコースティック楽器の音が丁度心地よいお店のスペースで、ドラムが置けるような状況ではないし、もちろん備え付けもなし。全て持ち込み。「モバイル楽団」の一員としても、最初はスネアだけ持込みにするつもりだったのだが練習中、あまりにも音が無愛想な気がしたので、再三個人的に盛り上がっているように、今回のカナモノ投入となった。ハイハットと、どっちにするかは最後まで迷ったが、部品の多さ重さを考えたら・・・。これならなんとか、荻窪・アルカフェでの本番にも持ち込めるだろう。相変わらずの無手勝流で、「ドラム」なんてめっそうもないので、いずれにしても本職の方には申し訳ないが、せめて包括的な表現として自身のパート名は「パーカッション」で通そうかと思う。
いずれにしても最低限の編成での演奏の図、というのもそれなりにカッコイイ、かも知れない(さもデキるヒトに見えたりする、らしい。今夜のお客さんからの反応を自分勝手に解釈すると)。
それと同時に人間、身の丈で生きる、というのは大切なことなんだな、と妙な実感。店備え付けのドラムセットに囲まれていた前回は、せっかくある楽器をなんとか一回でも使えないかと欲を出し気を回しすぎた結果、創造的作業どころかその場でリフのひとつも思いつく余裕なく終演・・・というのが前回を終ってみての個人的反省点でもありました。
さて、楽器ケースを肩にお出かけ、ル”ンル”・・・どわわぁ〜、足が、地面にめり込む。
シンバルだけならそんなに重く感じなかったのだが・・・図ったようにスネアケースに収まったのはいいとして、なにせ中華鍋が入っているようなものだ。スネア本体ともども、肩にもズッシリ、めり込む。
加えてハードウエア。スネア・スタンドに加えて、シンバルを取り付けるためのギア。これがことのほか重い。これは全くの、計算外。

*1:高校時代、フュージョンバンドに在籍経験