12月(大晦日)の出来事

晦日は、さすがに思いのほか早く仕事が終わり、型どおりの掃除・片付けまでゆっくり終えても午後には開放されてしまった。
とはいえこの巨大施設から出るバスは1時間に一本しかない。いつも俺が利用している駅ではなく最寄駅までなら歩けそうに思えたので、同僚と一緒に次のバスを待たずに歩くことにした。
夜だったら暗くて危険なので歩こうと思わない埠頭内の道は、管理者が複雑に絡み合っているのか舗装が粗雑で、足元も悪い。重い安全靴では少し歩きにくかったが、海沿いの道は寒いものの風は穏やかな日で、いい散歩になった。

全体朝礼では見かけたはずの別の同僚が、朝礼が終わってチーフが仕事の割り当てをしていたときにはもう姿がなかった。仕事上、ちょっと倉庫の方へ行かなければならなくなり、パソコン前を離れたときにチーフに声を掛けられたのだが、俺も「知らない」としか答えられず。チーフにしても既に、「あのヒト、やばいなぁ」という認識らしい。それまでもよく、広い構内で所在がわからなくなったり、現に目の前に仕事が山積みになっていても他の人たちのように迷う間なく手当たり次第、とはならず、かなり長い間眺めているだけ、のように見えたりした。仕事だから楽しいわけはないけれど、何をしていてもつまらなさそうにしか見えない。
というのは誰にもいっていないが、俺の感想。
だからこそ俺には、最初からこの人が気にかかっていた。
今朝もそんなことがあったと、ここまで一緒に徒歩帰宅してきた同僚と駅のホームで話していて、一本後発の電車を待つ俺はこの同僚とホームで別れたのだが、振り返ると少し離れたところに、まさにこの話題ご本人の姿が・・・。聞こえていたかどうかは微妙な距離だったが、俺も同僚も声は通る方だからなぁ。
いかんいかん、他人の噂話をしている余裕はないはずだ、俺にも(大反省)。

ただ、どの程度ご自身がこうした人間関係「障害」を自覚されているのか、仲間としてはちょっと気になっている。
それによっては、本人も周囲の人間にも、対応方法が必ずあるはずだから。
例えば本人に自覚があり、なおかつ仮に病名がつくほどのものであるなら、最初から自己申告していれば、トラブルは少ない。そういう事例も、ついつい多く目にしてきてしまっている俺は、別に何の専門家でもないんだが。逆に無自覚だった場合の本人の意識としては、どんなに職を転々としても同じトラブルが延々と続いてしまうことになり、その原因が一向に理解できないまま、ということになる。俺は、今のチーフなら彼の側の事情がちゃんとわかれば、それに相応しい仕事をテキパキと割り振ることくらい、造作ないことのように思えたのだ。

途中、久しぶりに津田沼まで寄り道をして、食料その他をちょっと多めに買ってから、部屋に戻った。街も大晦日だからといって特に賑わっているとか、静かだったとかではなかったように思う。
今年も日没の写真を撮ろうと思っていたが、年末に録画しておいた映画を見ていて出演者の演技に引き込まれてしまい、気づいた時はとっくに真っ暗になっていた。
両隣の学生の動向は、一方はひとり在宅中、もう一方は今年も今のところ気配なし(帰省中?)、という感じ。
いつものラジオ放送が終わったラジオを切って、ひとり静かな部屋で、ネットに保存してある写真をランダム再生にして、テレビを見るような感じでぼーっと眺めながらビールを飲んだ。思ったほど気持ちよく酔えない。なんだか先日の中目黒の時のような悪酔いだ。アルコール摂取に関して身体側の「反応」が固定化されちゃったんだろうか。
先日のライブにお越しいただいた方、都合があわず会えないとご連絡をいただいた方、音楽仲間で年賀状のやり取りがない人などに、ご厚情お礼兼年末のご挨拶メールを送る。今年は喪中だったので年賀状を書く必要に迫られていない。
それでもまだ、午後10時を回ったところ。
今日は一日が、長いな。
この街では今年も、除夜の鐘は聞こえないはず、なんだよね。