錦糸町駅前 焼き鳥屋「馬力」にて

焼き鳥をテイクアウトで注文したものの、焼きあがる間も待てず、外のテーブル席で飲んでいる俺たちの図。
隣にはお知り合いのバンドマンさんたちが合流、今日別の会場で出演された方々。音楽とノンべぇたちの考えることは、全世界共通、ということか。

こちらの席では、荻窪方面での本番予定について「よくあるご質問」をいただいたので、光法が既に酔っ払いの俺に代わって丁重に解説中。まぁ仮に世界がひっくり返っ(てオファーが来)たにしても、個人的には、俺寄だともちろん生声で十分な、あの会場の手狭さがあまり好きになれないんだがね。
俺はクラシック音楽のように「ご静聴」されちゃう環境が好きじゃないのでアカペラやってるんだが。食事や飲み物の注文、食器の音、友だちとの他愛ない雑談、ときに客席とのやりとりも交えながら、飛び交う音全てが「音楽」の要素となって、思い思いにリラックスしながら聞いていただくのが、俺(たち)のスタイルだと思っている。それでこそこちらも、なんとかしてこっちに振り向かせてやる、という「競争心」を保った演奏ができるというものだ。クラシック音楽は俺も好きだが、静聴されては、かなわんのだ。
こういうお客さんとの望ましい「距離感」を俺は、JAZZ「みたいな」音楽、と呼ぶことにしている。他のメンバーがどう考えているかは知らないが、少なくとも俺が(高校生時代あたりから)やりたいと思ってきた音楽とは、こういうものだ。

話は逸れるが、「アカペラやってます」という話をすると、相変わらず「ああ、ゴスペルですか」といわれることが多い。先日も腰痛をやっちまい通った整骨院の院長先生に、同じことをいわれた。俺にとっては細かいこたぁどーでもいいんで、こういう場合、否定も肯定もしないのだが、一番の違いは人数で、なにしろゴスペルの場合は通常、40〜50人からの大所帯だから、誰が考えても協調性がない奴には勤まらない。
なるほどそっか! 協調性がある人たちが演ってる音楽演奏のことをゴスペルといい、比較的協調性に欠ける人たちの歌う唄をアカペラというんだな(大嘘!)。

さて、焼き鳥持参でメインステージ前に移動したのはいいのだが…メインステージ前のフードコートって、毎年こんなに席数少なかったっけ。
結局、落ち着く場所を見つけられないまま、光法が見たいといっていたバンドの演奏が始まる時間になってしまい、再び別の会場に移動することに。
こちらのバンドの演奏は、俺も随分以前に聞いたことがあったが、そのときとは印象がかなり違っていて、ジャンル特化したプログラムになっていた。
今どきの世の中、マーケットリサーチの結果、というヤツなのかも知れない。
これが先ほど俺たちが歌ったのと同じ会場か、と思うくらい多くの人たちが足を止めて盛り上がっており、この様があんまり悔しかったので悪口をいっちゃうと、ジャンルを特化してアカペラのスタイルで歌ってみました、という手法自体はアルアルなんだが、残念ながら、彼ら自身が本当に好きなので演っている、という感じが、少なくともこの日の演奏からは俺に伝わってこなかった。ジャンルを固定しちゃったことで演目もなんだか一本調子になってしまったようで、2〜3曲で正直飽きてしまった。元々歌が上手く、緻密な造りの演奏ができる人たちだけに、だったら涼しい部屋でCDで聞いてても同じじゃん、という風になってしまった。
プロってやっぱり大変だなぁ、と昨夜のJamin’ Zebのときとはちょっと違う意味で思った。
そうはいっても実際、これだけたくさんの人たちの足を止めているわけだから、完全に俺の僻み丸出しな話なわけだが。

その後、(うちの)メンバーは思い思いにバラけてしまった(いつも通りのこと)。
俺は途中の会場で視界に入ったジャズコンボに足を止めてみたのだが、正面に回ってみると、某大手系音楽教室的な、味気ない演奏だったので、途端にうんざりしてしまい、バラけたメンバーの後を追ってメインステージに向かった。