疲労困憊して倒れこむように入った中華料理屋での話題。

当たり前だが年々、体力的にはシンドくなるな。

なのにこのタイミングでなぜバーバーショップ(体力歌唱!)だよ、と自分自身に突っ込みたくなるが(笑)。
ベースが、(お互い)勝手知ったる厚い低音のゆたかさんだということも、俺がつい手加減なしに声を張ってしまう(体力を使ってしまう(^^;)遠因、だったり。

人間、音楽なんてなくても、暮らせるわけだが。
自身がいよいよ「齢を重ねる」という年齢に入ってくると、俺のように隠遁生活を意図していても、様々な経験の方から飛び込んでくる。
辛いこと、哀しいこと、そして嬉しいこと…。
若い頃は単純に思えたことも、同じことが積み重なっていくうちに段々とそのひとつひとつの違いが鮮鋭になって感じられたりして、なんとなく「昇華」、などということばも浮かんでくる。
感情が動く経験があって、それを歌を通じて(できれば仲間と)紡いでいく、そういう「非日常」があってこそ、辛いことであってもなんとか乗り越えられているんじゃなかろうか。
黒人霊歌の例を引くまでもなく、淡々と幸せで満たされた生活の日々からは、実はこういうものは生まれてこない。
それこそが「心の安全弁」、人間がその智恵で編み出してきた「文化」というものだと認識している。民主主義や人権思想と同じだ。

ぶっちゃけ、これからも食っていくために仕事だけの毎日が続くと思ったんじゃ、気が遠くなるでしょ。
日々の励みがあってこそ、「人間らしく」暮らせるというものだよ。
嬉しい本番続きで、ちょっと感傷的になってるかもな、俺。