ようやくの、金曜日。

先週末のWINS練習が、楽しすぎてしまったらしい。
こうなると月曜日の出勤が、ツラい。
まぁ誰でも、月曜日はそんなもんだろうけれど。

俺は今週、HSP (Highly Sensitive Person)*1閾値を越えてしまったのか、猛烈にだるい金曜日。
今週もなんとか生き延びた、というところか。
誰とも会いたくないし、今の俺には、こういう俺を理解してくれる人は誰もいないのだという絶望的な気分にもなる。
もちろん実際にはそんなことはなくて、音楽仲間と一緒にいるときは、(自身が楽しめるほど)心を開いて付き合っているはずなのだが。これまでメンバーには恵まれてきた、ということか。
今週はそのWINS練が明けてから、新しい職員の着任(騒動)、上司が勝手に俺の名前を外部に使ってしまったための担当業務の自覚がない仕事への備え、水曜朝の地下鉄の遅延…色々とありすぎたか。
いつも通りで、とりわけ仕事が忙しかったというわけでもない。多忙によりノイローゼになりそうな経験は前職であるので、もしそうなら兆候が自覚できる自信だけはある。
仕事上の叱責は毎度のことだが、これも今週がとりわけ多かった、ということもない。
ただ、自分でも不意に、誰とも話したくなくなり、何もかもが嫌になってしまうことがあるのだ。
こういう自身の傾向は、社会生活を送る上で自分でも以前から問題視していて、古くは学生時代のスチューデントアパシーに始まり、このところは成人アスペルガーや回避性愛着障害、果ては非定型うつ病まで疑って、関連する本も何冊か読んではみた。実家暮らしだったときは家族もいたので対人関係障害という自覚が強かったが、ひとり暮らしをしてみると「無気力」が潜んでいるのがはっきりとわかった。しかし、いずれの説も、どうも自覚されている症状とはしっくりこなかった。大学で心理学や社会学の方向に進んだのも、自身のこういう気質と決して無関係ではなく、自らの内面世界を、できるだけ的確な表現でこうして文章に表そうとすることへのモチベーションにもなってきた。
ここまで考えてきて、これまでで一番腑に落ちたのが、HSPだったのだ。
当事者としては、その強い感受性が5人にひとりの「人類の生存戦略」能力などといわれても、単に左脳がサボっているだけの機能不全という劣等感しか抱けない。強い悲しみや劣等感、いじめや虐待などが自覚症状の契機になることもあるようだが、俺の場合、遠因は間違いなくアトピーだろう。リバウンドで寝たきりになっていたことが直接の引き金になったのか、それ以前からのものなのかは、今となってはわからない。
実際人類は、他の生物にとってみれば一度くらい滅んだ方がいいとも思っているので、俺を人類の生存戦略に役立てようなどと思っても無駄である。
「気質」なので治療法はない。今の日本ではほとんどの精神科医師ですら、その存在をまだ知らないのだそうだ。
原因にアタリがついたところで次は、「治す」のではなく肯定的に付き合っていく方法を、自分なりの対策を、試行錯誤しつつどうやら創っていかねばならないようだ。
人間、ちゃんと帳尻は合うようになっているようで、音楽や写真、文章を書くにあたっては、このやっかいな「感受性」、有利ではある。今までそういうものに自然と惹かれてきたのも、自分を守るための「戦略的」道理らしい。
一方で、社会人としての適応度はというと、相変わらず絶望的だが。
均一性を重んじる日本の社会ではまだまだ、寛容性がそうは幅広くない。

心因性のものゆえ人によっては不定愁訴的な症状は何でも出る可能性があるので、その症状の重さからより重い精神疾患と誤診されて、不要に強力な薬を投与され、そのしがらみから逃れられなくなってしまっている人も多いのではないかと危惧している。アトピー性皮膚炎におけるステロイド剤使用と、程度こそ違え同じ現象が、この分野でも起こっている可能性が高い。

貼る使い捨てカイロを買った途端に、この暑さ(4月上旬の陽気だそうだ。関東では春一番を観測)。

*1:Highly Sensitive Person=周囲(の空気)に敏感すぎる気質