三連休の記録。

正月休みが明けると2日間の平日を挟んですぐ、3連休。
身体にいいのか、悪いのか…却って心身に負荷がかかっちゃってるような気がするのは、俺だけ?
祝日法だか何だか知らないが、本来その日を祝う必要があって日付が決まっているものを、連休にした方が、などという余計な忖度で国家権力が勝手に変えちゃったもんだから、連休明けの出勤の、ツラいこと(当然、生産効率も落ちる)。

仕事休み前夜は、何となく午前1時頃まで起きているのが習慣になってしまった。
従って、午前1時前に千葉西北部が震源地震があったときは、地震に起こされずに起きていた。厳しい寒さのせいか、このところやや寝つきも悪い気がする。
やっと寝付いたと思ったら、翌朝9時には隣室の壁材や床材を剥がしているような轟音で起こされた。
こちら側の隣室は、住民がなかなか居つかない部屋らしく、そも俺が入居した時は空き室だったし、半年ほど前にいなくなった直近の住人は、夜逃げっぽかった。
リフォーム工事の「予告」を知らせるチラシが入っていたのは、俺が諸々から帰宅した午後5時頃と、後手後手(昼過ぎに出かけるときにはまだ入っていなかった)。通知日が「平成31年」になってるし…未来からの手紙。

天気がいいので布団を干し、洗濯機を回す。
朝食を摂りながら徐々に頭が起きてきて、今日一日の過ごし方を考え始める、いつもの予定がない休日朝。

午前中の開業時間に間に合いそうなので、まずはいつもの整体院へ行った。
今日は、わか先生の施術。
昨今の話題から、昨年末の宮司姉弟喧嘩による刺殺事件の影響で、やっぱり富岡八幡宮の初詣客は激減したらしい、とか。
俺は、もっと興味本位の人たちで想定外に賑わっちゃうんじゃないかと思っていたんだが、さすがに縁起モノだけに、そうはならなかったらしい*1
わか先生は一度初詣に行ったことがあるといっていた。あまりにも長蛇の行列に、連れの友だちから「やめよう」といわれ、お炊き上げだけして帰ってきた、という話をしてくれた。
俺は咄嗟に、この「連れ」は女性だったんじゃないかと思い、昨年夜、整体院の前で戸締りを終えて出てきたわか先生と偶然お会いしたときの、美女の「お連れ」さんだったんじゃないかと、勝手な想像を膨らませていた。
そのときは、俺から挨拶したにも関わらず、別にカノジョであるとも限らないのだが咄嗟にそう思い込んでしまい、おふたりから挨拶を返されて、思わず学生のようなドギマギした反応をしてしまった。

そういえば(^^; 日曜夜だというと友だちとゲーム大会を催してくれる(!)隣室の学生くんは、まだ帰ってきていないようだ、という話をしたら、最近は成人式が終わったタイミングで開講する学校が多いのだそうだ。体育会系の学生が訪れることも多い施術院での情報だけに、説得力がある。
成人式〜飲み会明けで、仕事だ講義だと、それなりに大変そうだが…俺自身は「官製」成人式には行かなかったクチなので、どういう風な状況になるものなのか未だに想像もできない。でも俺らの頃は、成人式だからって特別に飲みに行かなくても、高校生の頃から普通に居酒屋に行ってたよな…*2

さて、データは前夜、一気に完成までこぎつけた「寒中見舞い」。日本郵便に引き取っていただくためには、ハガキに印刷せねばならない。
昨年もお世話になったコンビニの複合機。ハガキの印刷サービスはまだやっているだろうか。念のためカウンターでお姉さんに尋ねたところ、「ハガキは持ち込み」になるといわれる。俺としてはてっきり、「ハガキは当店でお買い求めのものを」という反応を予想していたので、どうも要領を得ない返答のような気がした。
いずれにしても持ち込みじゃハガキを買ってこなければならないので、簡単にお礼をいってその場を辞した後、駅寄りの同系列店に行った。今度は実際に操作パネルをいじりながら行けるとこまで進んでみたところ、ハガキは既にコピー機にセットされていることがわかったので、この店で一気に印刷することにした。気になったのでこの日の帰りに別用で先のコンビニにも改めて寄った際、同じように機械の確認をしたら、こちらの店でもやっぱりハガキは、ちゃんとコピー機にセットされていたりする。

ともかくも「現世の憂い」をひとつ解決できたので、先日一度は大行列に恐れをなして退散してしまった地元の大きな神社へ、心置きなくようやくの初詣。
今日もそこそこの人で賑わっていたが、さすがに行列になるほどではなかった。
ここで毎年引くようになったおみくじは「大吉」で、内心ちょっとビビる。他の神社での話ではあるが過去、大吉こそあまりいい年だった記憶がないのだ。
しかしほぼ同じタイミングで引いた若夫婦がやはり大吉だと喜び騒いでいたので、新年恒例の「ご祝儀大吉」に当たったのではないかと、勝手に思い込んで少し安堵する。

ドラム・スティックをこれ見よがしにカバンからはみ出させて街を歩く。
何度かここでも書いたが、「楽器のヒト」はギターにしてもサックスにしても、ひと目でそれとわかるケースを背負っていたりしてうらやましい。一方で俺のような「歌のヒト」は、楽譜でも広げていないと一見してソレとわからないのがツマランのだ。
だが、本当のドラマーだったらスティックは練習でも折れに備えて予備も持ち歩くだろうし、だったらそもそもスティックケースに入れるだろう。自らが打楽器をやったことがある人だったらオカ・サーファーならぬ「陸ドラマー」なのはすぐに見破られてしまう。
歌のひとり練習前に、目覚まし代わりにルーディメントをひと通りやるのが習慣化してしまった。ダブル・ストロークがすっかり楽しくなってしまい、奇数打ばかりかと思っていたら「6ストローク」なるものがあることも知り、パラディドルにもようやく目処らしいものがつくようになったところで、年明けとともにようやくラタマキューに着手した(…???)*3
発声練習は、しておくに越したことはないが、頭と身体は案外、リズムから起こすと早い、気がする。あくまでも俺の場合。

スーパーで夕食の買い物を済ませてから部屋に戻って、年賀状ならぬ寒中見舞い状を一気に書く。確信犯的に「返信」となってしまっているわけだが、こうして手書きで、1枚ごとに違う文字を書いていると、俺の記憶の中の相手の姿が思い浮かんで、会話をしているような妙な感覚に陥る。
それは決して不快なものではなく、むしろ何かにつけて効率化されて忘れかけているもののような気がした。
これからレンタルDVDを返却に出るついでに、投函してこよう。

この三連休は、だいたいこんなことの繰り返しに終始した。

*1:そりゃ「末代まで祟ってやる」とか遺言に遺されちゃねぇ…

*2:ダメ、ぜったい! こーいうオトナになっちゃいますヨ。

*3:別にこれらの習得には、決まった順番があるわけではない。自分なりの課題意識から、勝手なインセンティブを行った結果。