ゆでがえる。

まず最初にお断りしておくが、以下の文章で特定個人を貶めるような表現があったとしても、それはあくまでも俺とその対象者との「関係性の病」というものだ。
人間3人寄れば、そこに「政治」が生じる。
対立した2者の意見に対して、第3者をどちらに引き込むか、これが広い意味での「政治」。
俺が知る限りどんな小さな職場にも、規模や程度の嵳こそあれこのような「綱引き」は存在しており、ある仕事に対する取り組み方について意見が異なっていたからといって、どちらが正しい、ということとは本来無関係に*1。要はその職場でどちらが「多数派か」という話に過ぎない。「普遍的な正しさ」や「絶対的正義」などは存在しないのだ。
そういうわけで、管理職が変われば当然、職場全体の方針も変わる。
同じ部署に俺がいなかったら、お相手からもこういう発言も出なかったのかも知れない。
…「関係性の病」が発言させる、ことば。


▲これは蛙じゃなく梟。

それにしても、最終出勤日にして最後の挨拶としては、酷い捨て台詞だった。
直接俺に向けられたものでなかったことは、不幸中の幸い。
まぁこのヒトのことだからきっと、何か一騒動やらかしてから帰るだろうな、とは思っていたが。
俺は自分自身も相当変わった人間だと思っているので、ちょっとやそっと妙な行動癖のある人を見ても、このトシになって滅多に驚くことはないんだが。
事前に連絡もなく午後になってふらっと職場に顔を出したかと思えば、引継ぎを進めるでも仕事を手伝うでもなく、なぜか自席にはほとんどいない。
戻ってきてもひとりごととも申し渡しともつかないことをぼそぼそといいながら、定時退勤の1時間前になって、自席で長々と化粧を始めた。
この後の「一世一代の大芝居」に備える準備のつもり、だったのか。

俺へのこれまでの、仕事に対する姿勢への小言は、この時点で「今のアンタの方が、酷いじゃん」である。
今日も職場はご覧の通りの状況(超多忙)で、これならはっきりいって、ここに居られるだけ邪魔だ。
きっとこの調子で、他人の努力や創意工夫をこれまで全く評価してこなかったんだよな、このヒトは。
「自分だけはこんなに頑張っているのだ、自分はもっと報われるべき…」だと。
よしんば我が社にとって長年の功労者だったとしても、あのたった一言で今までのどんな輝かしい功績も台無しだ。「飛ぶ鳥あとを濁さず」という諺もあるが。
一方で今日半日、職場にいながら仕事もしないで、こんなセリフをずーっと、一生懸命に考えていたのかと思うと、ちょっといじましくもあり(アンタ、トシいくつだよ?)。
慣れない、一世一代の肝心なそのセリフでは、終始声が震えていた。
「数年後、〇〇さん(今の上司)がいたから倒産した、などといわれないように」
まぁどう考えても不本意な退職にあたっての「恨み節」、ですなこれは。
こちらが動揺を見せたりしたら相手の思う壺に違いない。最後に一矢報いてやったと思われたら負けなので、俺は努めて涼しい顔を装うことにする。
しかし、呑み込んだ自分の感情が胃の底に溜まって、痛い。
もう今日これからの仕事なんか全部投げ出して、一刻も早く部屋へ逃げ帰って、ひとりになりたい。

俺も5年後、10年後にどこでどうしているかはわからんが、
いずれにしても、
こういうトシの取り方だけは、したくないものだ。

いただいた菓子は、俺は誓って今までこういうことをしたことはないのだが、そのままゴミ箱行きになった。
食べたら何某かの「悪いもの」が一緒に、俺の身体の中に取り入れられてしまうような気がして。

*1:個人の感想です(^^;