網戸。

玄関外の、人の気配で目を覚ます昼前。
インターフォン越しに見えた隣室氏と女性…は先週の方ではありませんねどう見ても…。
どうやら明確に俺の「敵」ということで(笑)。

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1日2回服用…の、結果。


この連休中「最大のタスク」になってしまった、会社の網戸張替え。
といっても小窓のもので、計ってみたら40㎝四方。この連休前に持ち帰ってきていて、そのままの状態で玄関に放置されている。
この連休中にはなんとかしなければ、と連休初日から俺の心の中に小骨のように刺さっていて、でもなぁ、会社の仕事だしなぁ。
3月にはトイレ小便器の詰まりを、丸々半日かかって修理したばっかりだぜ…俺の仕事っていったい…。
どれほど気が乗らないかというと、このところ老眼が進んでしまったために「切る」という行為そのものがすっかり憂鬱になっている手足の爪切りを、選択逃避的に先に終えてしまったほどだ。

ここまで「在宅」が一般的になっちゃったのならいっそ、社員全員アウトソーシング扱いにしちまって、仕事単価での契約にすればいいんじゃなかろーか。勤怠管理だけでなく、社会保険料の負担や有給付与も必要なくなる…って本当にそんなことをしたら世間的には「ブラック認定」間違いなしだが(仕事らしい仕事してないヤツらがもれなく陽の下にあぶり出されちゃうな)。
数年前にカインズ(ホームセンター)に「魔法のカリーポット」を買いに行ったときに、将来的には自室の網戸を(自分で)張り替えることもあるだろうともらっておいたDIYパンフレットが役に立った。
とはいえ自宅に持ち帰って改めてしげしげと眺めるに、押さえゴムの形が(パンフレットにあるような)一般的なものではないらしい。
いっそ網戸ごとホームセンターに持参して、自力修復が不可能だったら張替え作業そのものを依頼してしまうことも考えていたが、どうやら張り方の要領自体は一緒だったので、網戸は自室に置いて、あまり傷んでいなかった押さえゴムだけ外して持参することにした。
というわけでベランダで、破れた網を外して汚れは軽く水で流したが、サッシごと持ち込む必要はなくなったので、時間のかかりそうな錆取りまではしないことにした。

電車で一番近いホームセンターのサービスカウンターへ行き、持参した押さえゴムを見せて、これと同じものの取扱いがあるかどうか聞いてみた。予想通り、この形は在庫がないとのことだったので、見たところそれほど劣化は進んでいないようだからこのまま使うことにする。
張り替える網は量り売りではなくひと巻ごとの販売だったので、オリジナルブランドの一番安いものを買ったものの、大半が余ってしまう。
専用工具も2種類買ってみた。両方買っても¥500しなかったが、押さえゴムをはめ込むための工具はそういうわけで結局役に立たず、モンキーレンチの背の部分を梃子の要領で使った方がラクだった。もうひとつのはみ出した網を切るカッターは、キレイな仕上がりに役立った。

部屋に戻って、先日買ったばかりのブルートゥーススピーカーでお気に入りの音楽を流しながらの作業。
クーラーをつけた部屋で、慣れない作業は意外と力仕事で、あっという間に汗だくだ。
おまけに新聞紙を敷いて作業していたはずなのに、しばらくは部屋の中が網の切れ端の繊維だらけ…。
しかし久しぶりに自らの手を動かして、何某かをやり遂げた感じは悪くない。
作業を終えるとひとまずシャワーを浴びた。
連休明けたら立て替え経費だけでなく「工賃込み」の請求書を、しらっと経理に回してやろうかね(笑)。


夜、改めて風呂に浸かりながら改めて漠然と、この4日間は全く人間の会話をする予定がないなー、と思う。
今年になってからの連休は全て、こんな過ごし方だ。
といって今の俺とは真逆に、人間関係円満といって思い浮かぶ複数の知人のような、仕事休みになると知り合いの間を飛び回るような過ごし方なぞ、俺にできそうにないことは、今回のコロナ騒動がなくともはっきりしている。
今の仕事はどう考えても到底「キャリアアップ」など見込めないものだし、5年後が10年後でも、同じ生活を繰り返しているのだろうか。
そう思うとなんだか空恐ろしい気分に囚われる。
むしろ明日にでもスッパリと、終わってくれないものかなノストラダムス…。

本来の東京五輪開会式だった今夜、疫病退散祈願をかけて、20時から5分間、全国47都道府県で会場を事前告知せず、花火を打ち上げるというニュース。
丁度夕食を終えたタイミングだったのでちょっと期待しつつ、いつもの夏なら部屋から花火が見えるポジションに、デジカメ持参で待機してみた。
8時の時報、しかし変わらぬ街の雑踏…今回も残念ながら、そこに花火の音はなかった。
関係者の思いだけは、確かに受け取りました。
こういうことを今の時期、実際に行動に移す人たちの地道な努力と「粋な心意気」を思うと、なぜだろうか、悲しいわけでもないのに目頭が熱くなってしまう、ここ最近。