クールステーション考。

ここ数年の、えげつ容赦ない猛暑の夏には、お気に入りの本やノートパソコンを持っていくつかのクールステーションを渡り歩くことにしていた。
そのひとつが駅前の公民館で、初めて恐る恐る入ったときから、3階ホールへの入り口も兼ねていたエントランスはガラス両開きの自動ドアで間口が一杯に取ってあり、その気になれば前のバス通りからもソファー席の埋まり具合から、パネル展の実施状況まで、エントランス内の状況が見えた入りやすい空間になっていた。

f:id:oku_anijin0406:20200907231648j:plain
なかなかユニークな外観だった旧館。


ソファーが数基置かれた使い勝手のよさそうなエントランスは、ちょっとした吹き抜けになっていて、入り口の左手壁面一杯に設置されていたマガジンラックからは、気に入った市内のコンサートのチラシや無料講座の開催案内チラシなんかを持ち帰ったものだ。
他にも登録団体の募集チラシやパネル展示、写真などの掲示物で常に賑わっていて、居心地のいい場所を演出してくれており、長期に学校が休みになる期間には、ホールに上がる螺旋階段下の区画に長机が並べられて学生用の自習スペースが設けられ、隣接する図書館の座席を補完する役割も果たしていた。

この公民館が去年の11月、「プラッツ習志野」という真新しい複合施設に生まれ変わった。
建物そのものが相当老朽化していたのと、人口減・税収減による地域の公民館の再編・統廃合を兼ねていて、中央公園のある南側斜面に移動して、規模自体も少し大きなものになった。
駅から公園に向かって下る斜面に位置するため、2階が中央玄関で、右側に隣地から移設・統合された図書館の入り口があり、左手が公民館本体への入り口になる。

f:id:oku_anijin0406:20200907231901j:plain
駅側から見た新館模型。手前の真っ白なままの建物が解体中の旧館スペースで、商業施設にするの、指定管理者決定過程が不透明だのと、もめてるらしい。

その公民館側に2階玄関から入ると、左側が「フューチャーセンター」という、カフェを模したおしゃれなフリースペース。ここが旧館のエントランス・スペースに取って代わる唯一の区画だが、ホームページを見るとお役人の好きそうな「出会いの場」とか「異業種の交流スペース」などと漠然としたイメージだけが独り歩きしている。恐らく「異業種」ができるだけ席を近しくできるよう、手狭な場所に机と椅子をびっしりと並べてしまったので、その辺のカフェと比べても決して長居がしたくなるような感じではない。
今年のコロナウイルス騒動など建設計画当時は誰も想像もできなかっただろうが、ソーシャルディスタンスの意味合いとしても、多少座席を間引いてみたところで感染危険度はあまり変わらない「閉鎖空間」になってしまったようで、今回は全くの裏目。ちょっとしたアコースティック楽器の演奏会などもできるよう想定していたようだが、相当に使い勝手は悪そうだ。

一方、入って右手はすぐ市民ホールのホワイエになっているので、ホール使用関係者以外が自由に使うということはできない。
旧館のように、いわゆる「バッファ・スペース」としての広々としたエントランス等は設けられていない。

次に1階公園側の玄関から入ってみる。
今出来のマンションのように小ぎれいな入り口に、ガラスの片面1枚式自動ドア。こちらも一見して建物の内部は見えない。
二重になったガラスドアの左側には警備員室があって、うがった見方をすれば俺のような「イチゲンさん」を拒む造りのようにも見える。
入ってすぐの区画はもう、集合住宅か病院のように無機質・整然と並んだ講習室や和室、調理室への廊下になっている。
館内に続くただただ白いだけの廊下の壁はもちろんまだ汚れひとつないが、以前のように団体の紹介やらお知らせが所狭しと貼られるようなこともなくなってしまった。
廊下の隅には無造作に共用コピー機が置かれているが、周りに人が集まれるような空間にはなっていない。
各室の防音がよいのか館内に賑わいは感じられず、今、目の前の扉の向こうの講習室で集まっている人たちが何を目的とした活動を楽しんでいるのかすら、わからない。
使用状況はホームページで確認すればいいというわけだが、俺のようなアナログ人間がこうしてふらりと立ち寄ってみても、以前のように「現地の情報」を得ることができない。
ただただ「集まる場」としての箱が提供されており、情報発信拠点としての機能は、完全に放棄しちゃったかのようだ。
市は建て替えに当たって、「広く市民の方々の声を参考に」したと毎度耳障りのいいことをいっているわけだが、恐らく意見を聞いたのは主に市内の利用団体であって個人ではなく、求めた意見も建物そのもののコンセプトや位置づけではなく、集会室や和室、調理室や音楽室といった各部屋の使い勝手程度だったんじゃないかと邪推している。

元々生涯教育とは個人の生活を豊かにするためにあるものだと俺は思っているのだが、お役人さまが机上で考えて提供しようとする「生涯教育」とは自治体の「平等・中立性」(=多数決)という錦の御旗によって、既存の団体に向けたものであって、決して(これからグループを立ち上げようかと思っているかもしれない)個人向けではないのだな。ハナから個人が出入りしやすい場所にするつもりなどないのだろう。
まぁ市民に無用の結束なんかされちゃうと、何かと困るからねお役所は。
従って、個人が「生涯教育活動」に興味を持っても、お目当てのグループに出会える機会はどんどん減ってしまう。
お見受けしたところ、旧館に出入りしていた頃のどの利用団体も急速に高齢化が進んでいたようだし、こうした活動先細りへの対策は喫緊の課題だと思うのだが。

というわけで俺自身は、隣接する中央公園に立ち寄った際の公衆トイレ代わりにしか、出入りすることがなくなってしまった。
何の変哲もない巨大な「箱」は白くて、この夏の紫外線反射は正直目に痛かった。