空、くっそ青い。

DVDに続いて 『空の青さを知る人よ』小説版を、俺としてはすごい勢いで読み終えてしまった(結局、買ったわけね)。
こちらは映画の原作でも*1映画をそのまま小説化したものでもなく、スピンオフという位置づけのもの。


2019年映画公開時にも、ポスター等の広告は目にしていたのを思い出したが、これまで正直あまり気乗りがしなかったのは、珍しくヒロインの(意志の強さを表している)眉の太いビジュアルが、うっかり不細工キャラに見えちゃったから。
また秩父が賑やかになっちゃうなぁ、という複雑な思いも気持ちにブレーキをかけていた、かも。
まぁ基本的には新しいというだけで飛びつくことはなく、少なくともある程度周辺評価が出尽くしてから、というのが俺のスタンスではあるんだが。
しかし、岡田麿里さんのすっかり手慣れた脚本もあって、この一見不細工に見えちゃったキャラクターにさらにセリフと「動き」が添えられて、俺の中での評価をとても魅力あるものに一変させてしまった。
こうなると、アニメ制作では「アンカーマン」の重責である声優さんの仕事っていうのもやっぱり、すごいよなぁ。

こうしてすっかり登場人物たちに感情移入できるようになってから逆にセリフを文字で見せられると、改めていろんな思いが湧き出してきて止まらない。
どうにもすっかり後ろ向き、ついつい昔語りになってはしまうが…。
今のすっかりオッサンになった俺は、高校生の頃の俺からはいったい、どういう目で見られるんだろうか。
高校生の俺に巡り合うことができたら、今の俺は何を語るんだろう?
人のうらやむような存在でなくてもいいけど、ちゃんと「進んでいる」のか?
何でも「始まりがあればいつかは終わる」なんて思っている、ひねた高校生だったが。
当時から夢中になっていたことがまさか、こんな形で一昨年末に終わることになろうとはね。
ライブ音源を除くとやっぱり、あの合宿での録音がオフィシャルな演奏として出回っちゃうんですかね。有形無形に関わらず、モノを造った経験がある人たちにはわかってもらえると思うんだが、「あのときの精一杯」も時間が経つにつれて、ああすればよかった、ここはもっとこうできたよね、の「塊」になってしまうわけで。
そう思える俺はわずかずつではあっても、進んでいるのかな、と思えなくもないが(もっとも、肉体表現であるアカペラの場合は「こうしたい」とは思っても、そもそも身体がついていかない、ということも多いけど)。

それでも愚直に続けていった先には、何かがあるんじゃないかと思ってた。
いろんなことを犠牲にしてきた、とは思わないが、ようやく流れ辿り着いた場所は、東京じゃなく千葉でした(笑)。
今は「人並みの幸せ」なんてもう望むべくもなく、そうして得られたものもたくさんあったけど、失ってきてしまったものの大きさの方が、今の俺の中では受け止めきれないほど重いものになってしまっている。
ホントにねぇ、こんなことなら俺も「お堂から出て行かなければ」よかったのかも。
…もしかして今の俺自身の方が、「出ていけなかった俺」のまま、だったりして?(だから「成長」がない)

日々、気を張って暮らしているつもりもないけれど、もうバカじゃねーの俺、というくらい何度も繰り返しDVDを観なおしては、小説を読み直しては、同じシーンで涙している。
どうしちゃったんだろ、俺。
これが「コロナ疲れ」というヤツなんだろうか(まぁ気にすんな、いつものことだ)。

*1:そもそも映画が完全オリジナルだが