床屋へ行く。

例によって何度目かに、このコロナ自粛の機会に乗っかってアメリカのロックギタリスト(だから誰っ?)くらいの長髪にしてしまおうと思ってたわけだが、日頃三分刈りにしていたはずの頭髪はちょっと伸びたくらいで鬱陶しく、もう限界。
そりゃそーだ、前回床屋へ行ったのは12月だった。
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ガラガラの下り電車に乗って数駅先の、その去年末に行った床屋に再び向かう。
店に入る前、反射的に探す待ち時間を表示している3色ライトが、何度見直してみても見当たらない。
まぁ俺の探し方が悪いんだろう、くらいの気持ちで店に入ったところ、待合席の前に
「3月31日で閉店します」
掲示
入り口自動ドアの脇にもポスターが貼ってあったのに後ほど気づいたが、デカすぎて全く目に入ってなかった。
そういえばホームから見える牛丼屋看板の横にあったはずのものが見当たらなかった。降り立ったときには、気にもとめてなかったが。
知らないで4月にもなってから思い立って来てみたら、シャッターの閉まった店の前で途方に暮れるところだった。
いつも空いてて、好きだったんだけどなこの店。
だから閉店…っていうか俺のこの「空いてる方が好ましい」という価値観からしたら、薄利多売で何が何でも右肩上がりじゃないといずれ立ち行かなくなる資本主義という制度そのものが「欠陥品」ってことだろむしろ。
その資本こそなくても、心意気と公益性だけでギリギリまで頑張ってしまう個人商店と違って、大手チェーン店やフランチャイズの撤退は早い、ようなあくまでも個人的な印象。

いつも以上に丁寧にやってくれたような気がした散髪が終わると、近隣系列店の地図が書いてある名刺大のカードを渡され、改めて口頭で閉店の旨を告げられた。
っていうかそれ、店員さんの口からいわせるとか趣味悪っ(恐らくマニュアル通りの対応、ということだろう)。
もしかしたらまだ、自身の明日の身の振り方も決まっていないかも知れない状況で?
俺からは、「とても残念です」とのひとことを返すのが精一杯だ。

今後は引き続き当社の近隣店ご利用を、ということだが、要するに会社として、継続経営に失敗したんじゃん。
その経営陣自体は何の責任も負うことなく、今後も彼らの懐(だけ)が潤うような、思うツボな行動を取るのには抵抗がある。
というわけで今後、系列店は避けることになりそうだ。
というか俺としてはこの駅に降り立つ(恐らくたったひとつの)用事がなくなってしまった。

そういえば昨日のニュースでは、パルコ津田沼店の撤退(2023年)が決まったとか。
あれだけ大規模な商業施設で正社員が10数人だったというのもビックリだが、彼らにはちゃんと配転先が用意されているという。
一方で一切報道されないことだが、またテナント店舗を含めてたくさんの非正規雇用の人たちが、その最終営業日まで先の見えない思いを抱えながら笑顔を絶やすことなく、長い日々を送るのか…。

そんなことを思いながら、デジカメ持って少し、駅周辺を周囲をウロウロしてみた。
一見、通常営業を続けている店にもなんだか「閉店」の看板を掲げているところばかりが目に付いてしまい、一気に気分がブルーに。
ここ、特急停車駅なのに、なんだこの不景気な光景は。
都市近郊からじわじわと不況の波が迫っているような手ごたえに、眩暈がする。
必ずしもコロナ禍だけが直接原因ではないんだろうけれど。
政治って、何も威勢よく旗振って戦争に突入していくようなことをしなくたって、いとも簡単に庶民の暮らしを「殺せる」もんなんだな、と思ってから、いやさすがに我ながらこの発想は物騒だろ、と思い返した。

最寄り駅へ戻り、スーパーに向かういつもは通らない一本裏の路地で。
満開のしだれ白梅を発見。
これが見事な梅の木だったと、花が開いてみて初めて気づく。