とかくこの世は。

この1週間、(採血検査のために)禁酒していたはずなのに喉が少し痛かった。
一応、検温は気休め程度にしているが、今のところ発熱は認められない。
2~3日して喉の痛みは明らかに減ったが、今度は治りかけなのかちょっといがらっぽい。
そのせいもあってか、呼吸が喘息のときのように少し浅い感じがする。
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緊急事態宣言がまん延防止重点措置に看板を変えようが、発出されていようがされてなかろうが。
俺は週末、相変わらず外出していないし、平日の暮らしぶりも最初に緊急事態宣言が発出されてからずっと変えていない。
何をそこまで神経質になってるのか俺は。
とも思うが、変異株が猛威をふるい始めた今度ばかりは、自身も感染を免れない気がしている。
少なくともそういう心構えで暮らしていなければならないようだ。

しかし俺自身は別に、自らが感染する危険を回避しているつもりではなく、養う家族があるわけでもなければ、政府が声高に言う、いもしない「大切な人」への感染を防止するためでもない。
誰もいない部屋で、自分で救急車を呼ぶ暇もなく症状が急変して3日後に腐乱死体、というような事態はむしろ、今の俺の望む「決着」だ。
逆に、無用な移動中や職場で、中途半端に周りに人がいて体調急変を発見されちゃったり通報されたりすると困る。
そういう環境に身を置いている時間は、1秒でも少ないに越したことはない。
というのが今の俺の偽らざる「自粛」生活の目的だ。

平時だったらまだしも、医療がひっ迫している現状であればこそ、こんな俺にかける手間暇があったら、心底生き延びたい、助かりたいと思っている方を優先にしてもらった方がよい。
今の俺が仮に生き延びたところで、今後も社会・経済に貢献できる何かを成し遂げるようなこともなければ、誰かが助かる、というようなことも最早考えられない。そういう意味では別に俺でなければならないものは、仕事を含めて何ひとつもない。
何よりも俺自身が、やりたいこと、やり残したことがあるなどと思ってはいない。
明日が今日よりもマシな日になっている気がしない。

そうやって「行く末」を定めた上はもう、これ以上無理して親しい知り合いや友人を増やす必要もない。
その点、ネット上の「人間関係」というのはお互いに気楽なものだ。 たった今、俺が発作を起こして倒れていても、気づかれることはない。 更新が滞って数年もしたらもしかして、「そんなヤツもいたかもね」と思い出してくれることもあるかも知れないが。


…もしかして本人気づかない間に、「鬱」入ってるのか?
前職のときのように忙しすぎて判断力が落ちる、という形のものとは全く似通っておらず、このパターンはもしかすると初めてかも。
もっとも、「入り口」がいつも同じである必然も理由もないわけだが。
ここ数日はお気に入りのラジオ番組にも耳だけ参加で、ツイートできる気力は残っておらず、ぼーっとタイムラインが流れていくのを眺めていたが、なんだか全てが取るに足らないことのようにも思えてきた。
「100年に一度」の非常識事態に抗して、奇しくも「最悪の事態」だけは回避するために自分のメンタルが造り上げた「防衛線」、だったりするのだろうか。
俺のこれまでの「孤独耐性」はこの日のためだけに培われてきたような気もするし、そういう「ひとり芝居」を演じていることにすればこの危機的状況も、もしかしたら今よりも少しはラクに乗り切れるのかも知れない。

(追記)
今日は公休だった俺につい先ほど、直属上司から電話があった。
この2日間病欠していたスタッフから陽性反応が出たとのこと。
はじまったか、いよいよ。