銀塩写真の頃。

先週のラジオ番組のメールテーマが、「デジタル対アナログ」(だったっけ?)だったので、つらつらと思い出してみた自身のアナログ時代。
やっぱり中心話題は、音楽フォーマットと写真の変遷について言及している方が多かったので、今回は写真の話。
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カメラの裏蓋を開けると、できるだけ光に当てないように日陰で(都合よく日陰がない屋外の場合は、自分の背で陰を作って)フィルムを装填する。
パトローネ(外装)からベロがはみ出ているのが、未使用のフィルム。パトローネ(本体)を左側のフィルム室に落とし込んだらベロ部分を引き出して、右側のフィルムを送るリールに差し込むのが一般的なフィルム装填方法。
モータードライブが一般的になると、裏蓋を閉めると自動的に1枚目まで送ってくれるものもあった。
装填を終えて裏蓋を閉めたら、パトローネから出してしまった部分は感光してしまって何も写らないから、1駒分の送り幅から計算して2枚、とか3枚分、とか空送り(空シャッター)を切る。
一連のフィルム装填に手慣れてくると、24枚撮りで26枚撮れたりする。
一方で、フィルムカウンターが36枚撮りなのに40枚を超えてたりすると、顔が青ざめる。ちゃんとベロが刺さっておらずフィルムが送られてないか、途中でフィルムそのものが切断されている可能性が…(つまり何も写ってない)。
撮影できる枚数が決まっているのも、デジカメと大きく違うところ。
一般的なフィルム1本で、最大「36枚撮り」。
撮影枚数が少ないフィルムはそれだけマメにフィルム交換が必要になるものの、上記のようなトラブルの発生頻度を考えると、フィルム長さの短い24枚撮りをメインで使うようになった。
最悪の場合はトラブルに気づいた時点で、ひっかかったフィルムを「捨てる」ことになる。
だから、
「この場面、写真に収めるのに値するのか」
という判断を常に瞬時に、迫られる。
自身もデジカメが当たり前になっちゃってからは、あの頃の「集中力」には、もう到底戻らないなぁ、と思う。
風景写真なんかを撮りに遠出しても、フィルムが終わればその時点で撮影旅行は終了だ。なので何枚撮りのフィルムを何本持参するか、事前準備が欠かせない。
運がよければ現地でフィルムを買うこともできるが、まぁ観光地価格(割高)だったし。

デジカメなら当たり前の、撮ったらその場で仕上がりを確認…なんか、できるわけがない。
学生時代にはようやく急速に広まった「当日仕上がり」。それでも朝イチで開いてるまだまだ数少なかったお店に預けて、仕上がりは会社や学校を終えて帰宅する頃で、それ以前は街の写真屋さんに現像を頼むとだいたい、中一日待たされた。
でも液晶画面でなく、こうして手に入れた紙(印画紙)に焼き付けられた写真を一枚ずつ見るのは、今よりもワクワク感が大きかったものだ。
この辺が今の若者にウケてるらしく、最近「写るんです」が売れてるんだそうで。
世代を超えて共有できる感覚があるのは、ありがたい。

俺自身は高校のとき光画部(=写真部)にいたので、モノクロ写真の現像は先輩に教えてもらいながら自分でやっていた。学校で現像すると、当たり前だが費用がかからないのだ(まぁ部費は定期的に徴収されてるけど)。
フイルムを現像する段階と、現像したネガフィルムを使って紙焼き(プリント)する2つの作業が必要で、よくテレビドラマなんかで見られた「暗室」での作業が必要なのは、実はプリント作業の方だけだ。
カメラからフィルムを取り出す際は、撮影済みのフィルムを光に当ててしまわないよう、カメラごと一旦ダークバックという黒い(光を通さない)袋に入れてから、裏蓋を開ける。ダークバックとは長袖Tシャツほどの遮光袋で、手探りで現像タンクに移し替えるのだ。
Tシャツでいう丸首の部分はなく、胴下の部分はカメラと現像タンクを入れたら(確か二重の)ファスナーを閉じる。「両袖」の部分はゴムになっていて、ここから手を入れると中に光が入らない。
現像タンクは現像液の温度管理がしやすいステンレスでできていて、カクテルのシェイカーよりもちょっと寸胴な感じ。
中には「両溝」と呼ばれる、フィルムの上下をらせん状に固定する同じくステンレス製のリールが入っていて、この溝にフィルムを手探りではめ込んで巻いていくことでフィルム同士がくっつかず、隙間にちゃんと現像液がいきわたる。両溝は文字通りフィルムの上下を固定するので、リールに巻きつける作業は難易度が高い。誤って同じ溝にフィルムを巻き込んでしまうとフィルム同士がくっついてしまい、その部分に現像液が入らずに「現像ムラ」という現象が起こる。
初心者用に「片溝」リールというのもあって、こちらの場合はリールの下側にだけらせん状の溝がきってある。フィルムそのものが余程よれよれになってしまっていない限りは、溝のない上側がくっついてしまう可能性は実は少ないので、これで現像ができるのだが、こちらはリールもタンクもプラ製。茶道の茶器くらいあってずんぐりむっくり(置いて使う)してて、あまりスマートに見えず、上級生がトラブルもなく「両溝」を使いこなす様子に憧れたものだ。
そのため下級生は、暇さえあれば使えなくなったフィルムを使って、ダークバックを使わず目を閉じて、「両溝」にフィルムを巻きつける練習を何度も繰り返したものだった。
フィルムを現像タンクに無事に入れて、蓋をしてしまえば、フィルム現像自体は暗室の必要がないし、なんならダークバックを使った手探り作業は、天気が良く気持ちいい日には暗室を出て非常階段に腰かけてでもやれる作業でもあった。
現像タンクには、現像液を入れる。タンク上部の小さい蓋は、開けても中に光が入らない構造になっているので、ここから規定量を、規定の温度で注ぎ入れる。
「片溝」プラタンクの場合はリールの中軸が上部に飛び出していて、これを回すことで現像液をいきわたらせる。
「両溝」ステンレスタンクの場合は、カクテルシェイカーよろしく(あんなに激しく揺すらないが)、上下をひっくり返す。1分間に10秒、とか現像液の種類によって決まっていて、個人の勘や経験でもそれぞれが工夫していたアナログの世界。「(間歇)撹拌」とか呼んでいた。
停止液、定着液と同じように撹拌、入れ替えて現像終了。ここで初めて、フィルムをタンクの外に出しても大丈夫なネガフィルムになっている。
流水を使って定着液を洗い流してから、よくドラマなんかで見かけるように、暗室内にぶら下げて自然乾燥。
ここで「入魂のひと駒」が、現像ムラでダメになってることが判明するともう、気持ち一気にブルー…。

ここからのプリント作業は、暗室内。
プリントの大きさは、コピー用紙とは違う規格ではあるものの、「印画紙」として写真店で売っている感光紙を使う。
サイズの小さいものほどみんなが頻繁に使うために、足らなくなると大きなサイズのものを暗室内で適宜カットして作ったりもしてた。
フィルムと違い、印画紙は感光感度が低い上に、モノクロ用の場合はセーフライトと呼ばれる赤い波長の光には感光しないので、暗室といっても真っ暗手探り、ではない。安普請で多少光漏れがあるような暗室でも、セーフライトの赤が強く当たっていれば感光しないこともある。
その日に現像しようとする印画紙の一番大きなサイズに合わせて、現像液、停止液、定着液をそれぞれ、バットと呼ばれる平皿に入れる(そういえばウチの部にも「粉砕」バットあったなー、なぜか)。
特に現像液は厳格な温度管理が必要で、温める冬場には専用の電器ヒーターをバットの下に置けばよかったが、夏場に冷やす際には一回り大きいバットに水か氷を入れて、その中に現像液の入ったバットを置いたり出したりして、できるだけ温度が一定になるように管理、なかなか労力が必要な作業だった。
プリント作業を担う「引き伸ばし機」は、保健室にある身長計の高さが50㎝くらいしかないようなもの。
上から特殊な電球が収められたライトハウス、フィルムを収めるフレーム、レンズ、身長計で脚を載せる台座部分には印画紙を置いて、上から光を当てる構造。
現像を終えたネガフィルムを引き伸ばし機にセットしたらスイッチを入れて点灯、台座部分に投影される画像を見ながらレンズでピントを合わせる。画像の大きさは、一体化している電球からレンズまでの「本体」を手で上下して決める。
それからテストプリント用にストックしてある印画紙のはぎれを置いて、それを覆う紙(光を通さなければなんでもいい)を数秒ごとにずらしながら、何秒光を当てれば丁度いい明るさになるかを決める。
こうして光を当てた印画紙は、用意しておいた現像液の入ったバットに入れ、大型の竹製ピンセットを使って現像液に浸すとあら不思議、印画紙の上に画像がすうっと現れる。この瞬間は何度経験しても、癖になる。
フィルム同様、停止液、定着液まで同じように通したら、もう電気をつけても大丈夫。
テレビドラマなんかで以前はよく見かけた、暗室で写真を「現像」している光景は、この段階だ。
こうして感光時間を決めたら、いよいよ本チャンの、紙焼き作業に入る…。

印画紙は当然、光に当てたらダメになってしまうので、袋を開けて最初の1枚を取り出す時は何度経験しても緊張する。
新入生が目をつぶって袋を開けようとして、「オマエが目をつぶっても、電気ついてたら意味ないんだよっ!」というギャグ・ツッコミは、「写真部あるある」のひとつ。
暗室作業中に使用期限が切れた印画紙をこれみよがしに出しておいて、短気な体育教師が
「〇〇、いるか?」
と施錠してない暗室のドアを開けたとき、
「あ~、印画紙が全てダメにぃ~」
っていって私費弁済させちゃうのも、割と「お約束」な展開(そもそも大した成果もない個人技の文化部って、毎年の生徒会予算、ギリギリしかもらえないもんで)。
まとまった時間があるとき、部員それぞれが一気にここまで仕上げるので、一応定められていた部活動の日の放課後はいつも、結構遅い時間まで残ってた気がする(非常階段脇にあった暗室って、割と残っていても誰にも気づかれないので、何度か正門を乗り越えて帰ったこともあったような…)。

全てがアナログな時代は、こんな様々な人間ドラマ(?)を経てようやく、1枚の写真ができあがってた。
以上、この時代を知ってて、実際に自分も現像やってた、というご同輩が、懐かしさに悶え苦しむ(!)ことができたのなら幸いだ。