メガネ。

仕事休みの日の昼食に惣菜パンを買いに行っている近所のスーパー内のベーカリー(まだ通ってました)。
そこの看板娘さん、お見掛けしたところここ数日、メガネをかけていない。
これまで何度も我が身に起こった、というか我が身と無関係に繰り返し起こっていたことではあるが、これはつまり、メガネを壊した、失くした、以外の理由として考えられるのは、少なくとも「意識するオトコができた」、ということだろう。
うん、もう何度も他人事として経験してきてるから、理由としてはこれが一番、腑に落ち。
実は「メガネっ子好き」という男性は少なからずいて、メガネだからって決して「減点対象」にはならないのだが、男女の意識の壁。
やはり素顔で「勝負」したい、というのがオンナ心、なのだろうか。
というかどう考えても俺はこの度も例外なく「描き割り」な役回りらしいので。
今後その辺の見極めができるような決定的事実が見受けられたなら、昼食は他店で買うことになるだろう。

…オトコって(俺って)バカだ。
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どうも週末ずっとひとりでいると、「ひとりが好き」と精一杯強がってはみたところで、明らかにメンタルがヘラってしまうようだ。
もうここ数年来、幸い仕事の融通(日程調整)はかなり利くので時間は自由に使えるものの、新型コロナウイルスとは一切関係ない懐具合には、毎回バンド練習後に飲みに行けるほどの余裕なんぞなかった。
メンバーとすら同じようにカネを使って遊べない、となると、相互に意思疎通どころか気持ちに余裕なんかなくなる。
音楽活動そのものが俺にとってツマらないものになるのに、そう時間はかからなかった。
そんなわけで一昨年11月に、俺としては「最期の」リアル音楽関係者との縁を切ってきたところ。
実は「アカペラの先生」が2人もいたバンドで、40年も歌い続けてきたアカペラを嫌いになっちゃう俺も、大概だなーとは思うが。
一度でも経験したことがある方ならわかると思うが(幸いにも経験したことがない人には、全くわからないだろうが)、
経済格差って、こういうもの。
これまでも散々、人間関係を一方的にぶった切ってきたのは、このコロナ禍のためだったか、と自分に見栄を張ってはみるものの、一昨年11月当時の俺が今のコロナ禍の惨状を知る由もなく。
今現在の俺は、信じられないことに友人・知人の人数が俺史上最小、というかほぼゼロだ。

変異株の動向や東京五輪といったファクター(不確定要素)を除いて、今のペースでワクチン接種が進めば、こんな千葉の田舎町でも運が良ければ年内には俺も目出度く接種対象者、来年の春までには「元の生活」に戻れるのではないかとの楽観論もある。
当然、それより早いペースで飲み屋やライブハウスに足を運ぶ人たちが増え、国内・海外を問わず観光に遠出をすることが「普通」に戻り…そして俺には、それらをうらやましく眺める日々が戻る。

誰かに存在を認めて欲しい。
日々ちゃんと自分を生きているかどうか、誰かに見ていて欲しい。
願わくば、誰かのために生きていたい。

何のこたぁない、俺も承認欲求の塊か。
人目を気にしない生活は気楽なものだが、着るものひとつとっても自分を律することが難しいし、人間的な成長は間違いなく止まる。
ただでさえ家族を持たない(持てない)ことで、他者との関係性から自身の年相応な成長を感じることができていない、というコンプレックスが、このところ酷くなってきている。
そんな中でも好奇心だけが枯れていないのは、唯一の光明だ。
エレキギターでも爆音で鳴らすことができるようなら、さぞかしスカッとするんだろうな(高校生かっ!)
電子ピアノでは、残念ながら同様のカタルシスは望めそうにない。