朝の儀式?

在宅勤務が増えて、当面元の生活に戻る見込みも全く立たない現状。
とはいえ会社から具体的な数値目標を求められたわけでもなく、会社に協力しているつもりは一切ないが、自身の感染危険性を考慮して改めて業務内容を見直したところ、結果的に政府専門家会議が提唱している「出勤日数5割」に落ち着いていた。

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タピオカとか、ヌルいこと言ってんじゃねー。


低血圧な俺としては、通勤電車の「洗礼」なくちゃんとアタマ目覚めて、仕事に向かい合うための「朝のルーティン」策定がずっと急務、なのだが、昨夜はそんなことを考え始めたら寝付けなくなってしまった。
駅前のコンビニまで都度、朝食を買いに行くくらいが現実的なのかも知れないが。そも朝食を取らずに外出することに、なんだか違和感。
いっそのことジョギングやウォーキングといったハードな運動系が手っ取り早くてわかりやすいのだろうが、何だかダサい。
ジョギングがダサいといいたいんじゃなく、どう想像を巡らしてもジョギングが似合わない俺がダサいのだ、単に。
少なくとも小学生の頃までは、鉄棒やトランポリン、竹馬なんかがひとつずつできるようになるのが嬉しかったものだが。
身体が弱かったなりに、動かすことの楽しさ自体はちゃんと知っていたのだと思う…中学に上がる前までは。っていうのは以前にも書いた話だから改めて説明はしない。
oku-anijin0406.hatenablog.com

今になってようやく、某NEET探偵ものなんて読んでるもんだから…遠くない将来、加齢と運動不足からくる体調不良で、(社会的に)亡き者になるんだろう。

早くも影響されて、ドクターペッパーというものを、生まれて初めて飲んでみた…(>o<)

ところが昨日の朝はなぜか、自分でもビックリするほどすんなりと、8時半に起床。
朝食後はかつてないほどスムースに、(在宅)仕事に手が付いた。
毎度これだったら、「朝の儀式」などわざわざ考える必要もないんだけど。
会社出勤時にも何となくアサイチで手を付けることが習慣化していたルーティン作業から手を付けたから、というよりも、この後控えている「巻き込まれプロジェクト」進捗の確認作業、といっても7月の担当者打ち合わせ会議での予定をもう5日も過ぎている、の担当者への怒りがモチベーションになって、一気に目が冴えてしまったらしい。
あまりにももったいないので、これは何かに応用できないだろうか?

15時半頃、鳴ることのない玄関のチャイムが不意に鳴る。
…事前に通知のあった、消防施設の点検の日だったらしい。
今の俺は、ささやかなこの自分の「サンクチュアリ」に、誰であれ他人を入れることはない。
玄関廊下に人の気配がなくなったのを確認してから、ヘッドフォンで少し電子ピアノを弾き、その後はいつものラジオ番組を聴いていた。
ラジオの音がEDIROLのスピーカーから爆音で鳴っているこのタイミングだったら、居留守を使うわけにもいかなかったかも知れないが。
なんだかもやもやした気分がラジオ番組を聴いてても晴れることはなく、缶ビールを開けた。
半分寝落ちの状態でラジオを聴きながら、19時前には腹が減って目を覚ました。

今や完全なる「おひとり様」環境を手に入れたのだ。
これが俺の、長年望んできた結末。
守るべきものなど何ひとつ、持たない。
何をいまさら悔やむ必要がある?
…もういろいろと、戻れる気がしない。

このところ以前にも増して、ブログの更新が滞っているわけだが。
書きたいことは、あらかた書いた気になってる。
今の俺には時節柄、改めて書くようなできごとが起こるはずもなく、誰かの演奏を見聞きしたとか、カネにあかせて遠出したとか何か高価なものを買ったとか、あるいは美味いものを喰った、とかも起こり得ない。
恐らくは「正直者がバカを見る」低賃金な職場や仕事内容が大きく変わりでもしない限り、プライベートも含めて変わり映えしない日々が続く。
これから先、何年も。