そして、帰り道

「村営バス」表示のままのバス停でひとりきり、バスを待っていると、本当にこの手書きの時刻表はあっているのだろうかと不安に襲われる。いい加減不安になりつくした頃に、緩くカーブした道の向こうからバスが現れた。
17:10、三峰口発熊谷行きの急行「秩父路」号に間に合う。急行料金は全席自由で、200円。つい最近までは全てが硬券だった窓口の脇に、自動券売機がついていた。急行券だけは硬券、窓口販売のまま。窓口の女性が「お乗りになりますか、次の急行」、と声を掛けてくる。なかなか商売熱心だが、あざとい感じはしない。
すでにホームに横付けされた3003Fに、録音機片手に乗り込む。カメラがダメならせめて録音だけでも。
車内は明るく、元を正せば「ながら」号の前身、「大垣夜行」と同じ、国鉄時代の急行型電車。昨年になって、本家JR線上にも臨時列車用等に細々と生き残っていた同型車も、バタバタと引退してしまった。直立したボックスシートは、薄いブルーグレーの生地に張替えられていて、新車そのものに見える。走り出せば急勾配、急カーブ続きのためか、思いのほか車体そのもののきしむ音が大きく聞こえて、さすがにちょっと痛々しさも。老骨に鞭を打って、という感じだ。以前長野で乗った同型車は、とっても手入れの行き届いたエアサス装備で、揺れの少なさは今出来の新車にも負けないほどだったが、さすがにこれだけ過酷な環境下での運行では、線路上をゴリゴリと走っている印象になる。それでも秩父の市街に下りてからの平地では、目の覚めるようなきびきびとした加速を見せてくれた。車内は両端の扉がデッキでちゃんと仕切られているため、会話を邪魔しない程度の静けさがある(録音としては、期待していた力強いはずのモーター音が、ちょっとモノ足りないくらい)。
こうして帰りは、途中で西武線に乗り換えず、寄居までの急行乗車を楽しんだ。
ここから東武東上線で東京を目指すのは、昭和42年に西武秩父線が開通する以前の、東京・秩父ルート。
小川町までのワンマン運転電車に乗り、小川町からは池袋行きの急行が接続。川越市で降りて、西武新宿線本川越まで夜の街なかを散歩。普段より一時間ほど遠回りした上に、途中旧友から電話をもらったので、咄嗟に入曽で降りてしまい、30分ほどの長話。22時すぎという遅い帰宅となった。