札所5番 語歌堂

県道のすぐ先に見えている語歌橋で横瀬川を渡って右折。語歌堂は、県道からは少し入った場所にある。

その、県道から脇道へ入る地点にある、札所巡り共通の案内板。「札所5番」の案内は、今が最も旬な装いになっていた。
ブラタモリ秩父編では、そもそも秩父34ヶ所霊場の起こりには、地質学的視点にも基づく「地鎮」の意味合いも兼ねた、先人の知恵だったのではないかとの仮説が提示されていたが、語歌堂は平野の真ん中にポツンとあり、地質だとか地形だとかの「境目」を感じさせないお堂。本堂に上がる階段以外は、境内に石段のような段差もない。もっとも、このお堂は終日無人で、ご朱印をいただく際は少し離れた長興寺に伺うことになっているらしい。

県道側から歩いて来ると左手に見えてくるのは朱色の本堂の裏手で、改めて山門正面に回ると、山の端に傾きかけた秋色の陽の光が境内に影を延ばし始めていた。

ご近所のお婆さんが、恐らく毎日ここを通る度に寄られるのだろう、という慣れた所作で鐘を鳴らして手を合わせておられた。
その様子を山門の外から眺めていて、軽く会釈すると、「(写真の)邪魔しちゃって、ごめんなさいね」と笑顔がかえってきたので、二言三言、交わすことになった。札所巡りのブームも少し戻り始めているらしく、「ここも最近また、少し有名になってきて…」と少し誇らし気だった。

設置されている看板によると、
この地域の名士だった本間孫八は、自身が和歌の道に暗いことを憂い、この観音堂にこもって歌道を学び、その上達を祈念していた。ある夜、ひとりの旅僧が現れて孫八と徹夜で歌道の奥義について談じ合った、というのが「語歌堂」の名の起こりだそうだ。
ここは表通りから離れているために、大慈寺とは打って変わって静か。山は背ではなく山門側にあり、山門前を横切る道は正面に武甲山の山容を望む。

その武甲山からは丁度、横瀬町のコミュニティー・バス(というかライトバン)「ブコーさん」が走ってきた。
16時を回ると山の陰がどんどん長くなり、日の沈むのが早い。
語歌堂バス停に向かい、乗るつもりだったバスはとっくに行ってしまったが、次のバスもあと20分程なので待つことにした。
相変わらず県道を行きかう車が多く、その騒々しさには辟易する。
バス停正面には大規模な葬儀場があって、地方で成り立っているのは葬儀屋だけ、という祖父が亡くなったとき静岡で抱いた感慨を思い出していたら、寝台車が到着。ご親族もマイクロバス数台で駆けつけてきて、一気に慌しくなった様を眺めていた。

語歌堂脇の案内板によると、横瀬駅までもそれほど遠くないらしかったが、地図を持っていないときは無理をしない。山の中では直線距離と共にアップダウンも計算に入れないと、思わぬしっぺ返しをくらうことがあるのだ。
しかし、これから秩父市街に戻って、暗くなってしまったとはいえ商店街で古い建物を少し眺めたかったので、横瀬武甲温泉に寄るプランは、今回残念ながら時間切れだな。
だからって「祭の湯」には、寄ってやらないが。
エキナカ温泉の便利さ、手軽さで、かなり多くの観光客が「祭の湯」に流れたと思われるが、俺は武甲温泉の、過激な味方です(笑)。