報せ。

経営会議当日。
出席できる肩書が外れたウチの上司は、中間決算の報告者としても同席しなかったので、俺が見ていてもツッコミどころ満載な内容で、社長が四苦八苦しつつ「答弁」していた。
…これ、俺はどこまで議事録に残していいの(笑)?
ウチの上司に代わって着任した形になったのは、いわゆる業界ビッグネームな方らしいのだが、すでにかなりのご高齢で、車椅子での来社。
コロナ禍な状況から久しぶりに対面での会議になったので、冒頭全員から簡単な自己紹介があったが、その後の審理中はずっと眠っておられた。
いったいどういう功績を期待されているのだろう社長?

日ごろ使わない神経を使った俺がすっかり気疲れして帰宅すると、直接面識がないはずの、(前の職場での)恩師の奥さまから1通の葉書が届いていた。
恩師ご本人がお亡くなりになっていた。
当時まだ礼儀知らずな若造だったはずの俺を何故かとても気に入ってくれて、いろんなところに鞄持ちとして連れ回してくださったっけ。
出先での仕事がひとしきり終わると、必ず近所の飲み屋でふたりっきりで反省会、祝杯を上げていたものだ。
俺が千葉に異動になってからは同じ県内在住ということもあって、会おうと思えばいつでもお会いできるような気になっていたが、いつの間にか年賀状のやり取りだけの関係になってしまっていた。。
一気にいろいろ思い出してしまい、しばらく玄関で葉書を片手にしたまま、気づくと涙が流れていた。
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仕事でもプライベートでも、ひとしきり一緒に何某かの「プロジェクト」をやり遂げると、急に人間関係で距離をとってしまう悪癖がある。
ここまで繰り返して一向に懲りないので、恐らくは何某か(対人障害レベルの)病気ではないかと思っている。
さらに俺ときたら、同級生たちにかなり遅れてこうして社会に出てからというもの、恩師に報告できるような「暮らし向き」だったことが一度もない。
恩師に報告できる暮らし向きって?
ともかくもそう勝手に思い込んでいるために、再三のお誘いにも関わらず同窓会のような場に顔を出すことは皆無だし*1、ましてや直接、学校関係の恩師とは顔を合わす機会もなかった。
こんな自分にわざわざ会いたいなどと思うような、奇特な奴なんかいるわけがないだろ…という自己肯定感の低さ、スパイラル。

音楽活動での恩師と呼べる、中学生だった俺に合唱を通じて歌うことの楽しさを教えてくださった音楽の先生は、2019年にお亡くなりになっていたのを、実は最近になって知人を通じて知った。
この時は我ながら薄情なことに、実はそれほどショックを受けなかった。
そもそも知らせてもらった当時の俺のバンド内ポジションが微妙な時期だったことに加えて、流れ去った時間がかなり長いこともあるし、今回の恩師の訃報と一番違うのは、何せ当時まだ学生だった俺は一方的に教えを請う立場であり、実際に一緒に社会に出て働いていたわけでもないから、かも知れない。

しかし、ただでさえ同年代より年下の知り合いが少ないと、どんどん知り合いが少なくなるな。

*1:これはHSP気質が高じて、年々大人数での飲み会が苦手になっていることの方が主因だが