毎年恒例、都立代々木公園での大催事。

実は俺、第1回から主催者の一員として携わってきたんだが、中野に異動になったのを機に担当を外れていた。
この間、歴代2人のスタッフが担当してきたが、担当外とはいえ久しぶりに「現場」に戻ってみると、開催当初とはかなり景色が変わってしまっていた。

今回の俺の立場は、催事担当ではなく受け入れ研修生の監督(というほど偉いもんでもない)。
というわけであくまでも遊軍なので、担当割一覧にも名前はない。
従って、指示を出したり異論を差し挟む立場にない。
というかそこまで「親切」な人間でもない。
研修生といったって2名だから、実はそれほど忙しいわけでもない。
ただ、彼ら自身に何かあってはいかんので、つかず離れず全体を見回しつつ、どっちかというと、アラ捜し役だ。

因みに、そもそも準備段階から、個人的に大変心象が悪いのは、既報の通り
実はこのオッサンこそが、今回の主催者代表。

以下はその辺をさっ引いて読んでいただくとして、当日現場の空回りっぷりは、早朝の準備作業から遺憾なく発揮される。

集合時間を待つことなく、オッサン率先して会場設営作業を開始。着いたスタッフからなし崩し的に参加。
・・・とりあえず大量のブーステントを組み立てるが、そのほとんどを所定位置まで再移動するハメになった。
わからないことがあると、その都度オッサンをつかまえなければならず、作業待機に。
予めトラックから荷卸する場所を決めておかなかったので、広い会場内バラバラ。探し物に手間取る。
設置と撤収を同じスタッフが担当しなかったので、撤収の際も方法がわからずやり直し、とかトラックに積み終わったと思ったら撤収し忘れのもの発見、とか他の団体の資材が混在、とか。
余裕を持って準備いただいたようだが、開封してみると壊れているブーステントが混じっていて、除外しておこうと思うが、各人がそれぞれに除外してしまい、その後ブース設置箇所を確保するためにどける、混ざる。
出展団体を募集する前に、有効テント数を確認しておくだけなのに。結局撤収の際にまた、一括車載・・・。

その都度、少なく見積もっても20人ものスタッフ・ボランティアが右往左往させられたわけだ。
もちろん彼らもイベント慣れしている有能な人たちの方が多く、決して指示待ちな人たちではなかったはずなのだが。

10分でも作業前の打ち合わせ時間を設けて、自己紹介までする必要はないが、お互い顔くらいは覚えた上で、情報共有してから動き出した方が、結果的にこれだけの作業ロスを軽減できる理屈なんだが。
会場全図を事前に配布しておくだけでも、全然違ったはずだ。
もっと効率よくするには、細かい作業行程表を作っておくなり、事前に打ち合わせて区画・作業項目ごとに作業リーダーを決めてしまえば、もっと短縮できると思う。

結局、当日も遺憾なく発揮された「ワンマンっぷり」が根本原因だったわけだ。
それこそが自分の責務(と達成感)、と勘違いしていて、情報が全く降りてこない、毎年なんとかなっちゃうので全く懲りてないから更にタチが悪い。
その割には、こちらの元担当者が、あまりに動きがないのに心配になって、仏心から確認してみたら直前まで何もしていないことが露見、実は最悪の場合当日になって施設管理主体から、
「利用手続きが済んでないので、ダメ」といわれて初めて気づく、という展開になりかねなかったのだ。
そうこうしているうちに責任感をうまく利用され、結果巻き込まれてしまい、全て前年担当の彼が引き受けるハメに陥った、ということだけは、声を大にしていっておく。
一部の関係者間ではこの過程に関して誤認があったようだが、今回の開催にあたっては年度当初から、受付事務所の一本化がうたわれていた。
昨年実施の際、こちらのスタッフがたった1名で全ての作業を引っ被ることになり、一昨年も別のスタッフがこのような就労環境で、なんとか無事に終えたばかりだった。
その2年間の反省の上に、今年は元々参加形態により二分されていた受付窓口としての事務所を、先方に一本化、しかもそのことは先方の担当者が今年の実施を決めた際の了解事項だったはずだ。
そして、これが事実だ。
今回も例年通りの実施形態で実施されるはず、従って当日も含むトラブルは全て、ウチの団体が仕事をしなかったから、というのは完全に誤まった認識。

・・・とまぁ、駄目なイベントの一例として、駄目出しを具体的に記録しておくと、イベント規模の大小に関わらず今後も何かしら(誰かしら)の役には立つ、かも知れない。
イベント成否の8割方は、事前準備なんだよ。
ヒトを巻き込むんなら、事前に入念に催事の開催目的の共有くらいはして、互いにモチベーションをあげておくべき、だろ。そもそも何のための開催だったのか。
ともかくも事故だけはなくて、ほんっとによかった。
来年はウチの組織自体もなくなっているはずなので、長年結論だけが先延ばしになってきたが、次回当団体としての参加はいよいよあり得ないこととなった。