参院選挙

先日、すみだジャズの会場下見に行った。
たまたま向かい合わせに座った男性が、俺と同じアトピー性皮膚炎。
赤鬼のように腫れた顔は一様に同じ顔に見えるために、過去の自分を鏡で見たような気分になる。全面粉をふいたようなガサガサな皮膚だが、ところどころ引っ掻き破れた傷はかさぶたでふさがることがなく、黄色く血小板が染み出している。
素人目にも、ステロイド剤依存か離脱途中だろう。
ほんの数年前までは、俺もこんな身体状況だったはずだ。
「生きながらえた命」ということばが、不意に浮かんだ。
そういう思いだけで、ここまで来たけれど、かといって「福祉」の職場の実際は、俺にとっては少し違ったらしい。


途中の船橋駅では、現職総理が街頭演説に来るとかで、2時間も前だというのにSPやらマスコミやらで大騒ぎになっていた。
俺は投票日当日(今日)、ノミ心の練習で東京にいるので、不在者投票を済ませている。
しかし、無職な俺にも投票権はあるのだから、ありがたい世の中だ。


選挙終盤戦、街宣車が近所に来るのも増えてきた気がする。
名前の連呼と「お願い」ばかりで、具体的にどんな仕事をしていただけるのやら、さっぱりわからない。
今度もアベノミクス周辺の方々と、このように声だけが大きな「お年寄り」たちの意図が通るのだろう。


ラジオのニュース解説で、
若者の低投票率が問題だが、政治家やマスコミ側が若者を取り込めていない、もしくは若者に関心を持ってもらえるような政策(伝える方法も含めて)が提示されていない、
という指摘が、なんだか印象的だった。
これが逆手で、実は意図的に行なわれていることだとしたら、どうだろう。
そういえば日頃はWeb世界を何かと敵視している大マスコミが、こぞってネット選挙への「期待感」を顕わにしていたのも、なんだか興味深い現象だったけれど。


それにつけても、政治不信の根は本当に、深い。
こういういい回し自体が、意味を持たないくらい陳腐になっちゃうほど。
そして、そのことについては未だに、誰ひとりとして「責任」を取っていない。
幹事長や党首が、「責任」を取った風に辞任することはあっても、それは「不信を払拭できなかった」からであって、相変わらずこの間の「不勉強」を猛省することばはひとことも出ていない。すっかり感覚がずれちゃっているのだ。
やっぱり政治家はソレを「生業」にしちゃいかんのよ。
議員特権を手にした途端、それを手放さなくなるでしょ。
その暮らしぶりは、我々とは全く変わってしまうから。
俺の仕事場机上じゃないんだから、やり残したまま積み上がっちゃって、それでも国会は会期があるから、俺の仕事以上に気楽なもんだよな、の先送り。
民間じゃ、仕事しなかったら給料出んぜ


そうこうしているうちに、デトロイト市が財政破綻したとのニュース。


右肩上がりを前提とした「景気浮揚策」のひとつ覚えを懲りずに繰り返しているうちに、我が国でも増加する高齢者ひとりを3人の納税者が支えているというが、今やその若者の3人にひとりは非正規雇用だ。統計上は働いているはずの若者も、ニートだ引きこもりだとなんらかの理由で納税していないでしょ。
今後も少子化で税収自体が減ってくるのに、社会保障費は年間1兆円規模で増え続けている・・・。


まぁそれでも、あと数回も選挙を経験すれば楽隠居な方々にとってみれば、せいぜい数年間、自分たちの「今」の暮らしさえよければ、それでいいわけなんで。
若者に活力がない社会は、国そのものにも未来がないよ。
確実に、滅びる方向に突き進んでいる。
ここまでは運良く破綻を免れてきたらしいが、何も変わらず先送りばかりしているうちに、俺もとっくに「若者」ではなくなってしまった。
(書いてるうちに、何を書きたかったのかわからなくなっちゃったな、の典型パターン・・・)