三山「第16連隊裏門歩哨所」跡、顛末

あっという間に昼夜逆転の生活…先行き不安のせいか、さすがに寝付きが悪い。
人とハナシをしない毎日には、早くも気が狂いそうだ。
元の職場の仲間達は、俺のことを覚えてくれているだろうか。
時々は、気にかけてくれているだろうか。

それはともかく、せっかく無職で暇になったのだから、以前から気になっていた歩哨所跡がどうなっているか、この目で確かめてくるとするか。
というわけで、場所を思い出しつつ歩く。以前はあくまでも偶然見つけたものなので、どこをどう歩いたかなんて、実はよく覚えていない。
途中、偶然通りかかった「あずま児童館」の裏手では、何やら測量のような整地のような作業をしている人たちを見かけた。こちらも近々大きな動きがある、のかも知れない。

ほどなくして、労せず見覚えのある景色に辿りつけた。
地図上では、「泉町3丁目4号」の向かいの一角。元々一軒家(型の官舎?)があったのだが、今は更地になっており、併せて撤去されてしまったものらしい。
「現役時代」の写真は、7月の市民プラザの展示で拝見することができた。

写真の土塁と、その右端に見える門柱は、辛うじて残されている。歩哨所はこの門柱のすぐ裏側にあった。場所が場所だけに、写真に収めづらかったが、一枚だけ俺が撮っておいた写真が運良く残っている。2013年12月1日に撮ったものだ。

この土塁の内側(南側)に沿ってほぼ一列に一軒屋が建っていたが、その更に南側は電源開発の団地が展開している。こちら側がまさに第16連隊跡地、ということになる。

この辺り、建て替えが予定されているようで、県営団地をはじめ数棟の団地の建物が無人のまま取り残されている。写真はその中の一棟で、看板には今をときめく*1「国立競技場 習志野職員宿舎」とあった。

大久保4丁目からバス通りを背に、北へこの土塁に向かってくる角地(泉町3丁目9番)にも広い緑地が残っていて、地図で見ると児童公園のようだが実は人は入れず、こちらは猫の楽園になっている。

建物は残っていないが、柵の外から見ただけでも数棟の建物の基礎だけが残っていて、中にはレンガの上からモルタルを塗ったようなものもある。この一画、元はいったいなんの施設だったのだろうか…。

おまけ。


誉田神社裏手の駐車場でみつけたコンクリート柵。
この微妙なカーブは、(鉄道の)枕木再利用じゃないかと思うんだが…。
木製のものはよく見かけるが、コンクリートのものは初めて見た気がする。
どこから持ってきたものかは、さすがにわからない。
JRと京成線とでは線路の幅が違う(京成の方が広い)から、線路を留めていたボルト穴の間隔を測って、JRのものより広ければまず京成のものじゃなかろうか、という調べ方はある気もするが…。

*1:2020年東京五輪の開催問題