バスツアーに、ボランティア参加。

前置きが長くなってしまったが、お誘いを受けるままに、目の見えない方たちのバスツアーにボランティアで参加させてもらうことになった。
やや大袈裟にいうと、俺としてはそんな個人的な思いも抱えつつの参加、ではあったが、それにしては実際には知らないことばかりで、かなり頼りない「介助者」だったに違いない。

本日最初のお仕事は、駅で待ち合わせた参加者の方々を、バスまで誘導。ボランティア、スタッフ総出で、駅とバスとの間をピストン移動だ。
予想していたこととはいえ、ある程度毎回参加されている方たちで、今回初参加は俺だけか。多勢に無勢、顔と名前を覚えきれずに、早速ちょっとしたパニックだ。
しかし、「イベント」全体を通じて気働きを必要とする場面の注力配分は、なんとなく前職までに経験してきている。バスが動き出してしまえば、バスガイドさん、というか今日は総合司会者の女性にお任せ。こちらの方も、目の見えない方たちへの対応は専門的なレベルで、傍で見ていて感心しきりな俺。
それでも道中は暇なんだろうと高を括っていたら、そうそうたる講師陣によるミニ・講演会になっており、これが実に興味深い内容で、居眠りどころではなかった。いつの間にか変化のない殺風景な高速道路の車窓を無視して、途中から目をつぶって拝聴してみたら…さらに集中できる。視界があると却って集中できないこともあるのだな。
途中、横浜町田を過ぎた辺りで渋滞に巻き込まれたが、司会の女性も講師陣も手馴れたもので、各地点到着までの各講演の時間配分はぴったり収まっていた。
因みにバスは、東名高速を小田原の「県立生命の星・地球博物館」に向かっているところ。今日のテーマは地球の壮大な歴史を肌で感じるためのバスツアーだ。
途中の海老名SAでトイレ休憩、盲導犬を連れた参加者男性のひとりの介助を申しつかった。
盲導犬は俺なんぞより、はるかに賢い。一度、バスを降りる際の混乱で参加者のおひとりが足を踏んでしまった際に小さく鳴いただけで、後は一切、声をあげることはなかった。
ということで今回の指示系統、参加者男性>盲導犬>俺、俺はさしずめ盲導犬の「手下」だな(笑)。
その盲導犬は、地球博物館を一回り見て回ったあとで、集合までの短い時間に一度だけ「トイレ休憩」をした。飼い主の方からの申告によるもので、単なる人間と犬という以上に、強い絆で結ばれている。それにつけても知らない人たちばかりで薄暗い博物館の展示の間を歩きまわり、さぞかし盲導犬もストレスが溜って大変だったことだろう。


食堂でも同席し、ようやくお互いに少し、くだけた会話ができるようになった。
お話してみると世代も近かったが、俺と共通な部分もあって、なんと千葉県内にお住まいだという。
俺は、障害をもって暮らしていらっしゃる方に対して、そのことだけで尊敬してしまう。というと聞き様によっては逆に「上から目線」のものいいに感じられてしまうのかも知れない。実際のところは自身が経験してみない限り、日常生活のどんな場面で何が、どれほど困難なのかわからないわけで、簡単に「わかる」などと共感めいたことをいうわけにはいかないのだ。
しかしそんな思いからつい、丁寧なことば使いをなかなか崩すことができなかったりして、慇懃無礼になってしまっていないだろうか、などと思ってしまう。「心の開き方」がわからないのだ。
しかし、昼食のうどんは美味かったな。
話が前後したが、この昼食の後で、5人くらいずつの班にわかれて館内を見学した。各班には博物館からボランティアのガイドさんがついてくださる。俺にとっては、彼らの手馴れた説明や誘導から、自分でも同じようにできることがあれば、と見よう見まねだ。
全てのグループが館内見学を終え、エントランスに再集合すると、次の目的地はカマボコの「鈴廣」。
ここも連休の観光客でごった返しており、改めて、目が見えていようがいまいが、これといって面白いものがない*1
俺は盲導犬に連れられて(笑)、お店の賑わった雰囲気と試食を一通り楽しんだ後、先ほどバス車内のミニ講演で、地元講師の方から「お勧め情報」をいただいた詰め合わせを、取り急ぎ実家と整骨院へのお土産に買って、バスに戻った。

朝、参加者のみなさんをバスまで誘導していて気づいたのだが、駅とバスが停まっていた街道の間には、ちゃんと点字ブロックが設置されていた。
出発時と同じ場所に、連休中の渋滞を避ける判断が功を奏して、予定より1時間早く到着した。しかし早朝とは違い、降車場所のガードレールが切れた部分には、無神経に自転車が放置されている。司会の女性が一足先に、この自転車を移動しようと降車したが、しかも重い電動式自転車だったらしい。バリアフリーの様々な工夫は徐々に整備されてきているが、それを維持していくことの困難を思った。
実は健常者側に、「見えていない」ことの方が、多いのじゃないか。
ともかく、俺にとっては初めての経験ばかりで、このままひとりで抱えてしまっては、とても「咀嚼」しきれるものではない。

今はまだ社会の「片隅」に、しかし確かにある「世界」。
障害者とか、福祉とか。
そういったものがもっと社会全体の「メインストリーム」になっていったら、というのは何の配慮も裏付けもなく、感覚だけで書いちゃってみたが、そうなったら「健常者」も今よりずっと、暮らしやすい国に、なるんじゃないだろうか。俺の願いでもある。

*1:体験施設が併設されており、参加すれば楽しめるようになっているので念のため。今回はバス・ツアーのテーマから逸れるため、参加予定なしだった。