確か、Vol.78 くらい・・・。

閉鎖中の、お気に入りだった多摩湖畔ベンチを見限って、パルテノン多摩の、木陰のベンチにパソ持ち出し中。目の前にでっかい池があるせいか、風もこころなしか涼しい。この高い背もたれ付きの、一人がけのベンチがすっかり気に入ってしまったので、まだしばらくいようかと思いますが、唯一のネックは、鳩が多いんだよね。オスの鳩が一生懸命、気をひこうと歌いかけているそのメスは、私の持っているメロンパンしか視界に入っていない、らしい。なにしろ奴ら鳥類は、地上では必ず目標に対して半身の構えで、片目だけで見ないふりしてちゃんと見ている。その証拠にさっきから俺の前を左右に歩きながら、徐々に距離だけ詰めてきている。普段なら絶対、エサはやらないんだが。わかった、やるよ、やるから、オスに気付いてやれって。

前回はなにしろ急だった叔母の葬儀で、練習が一回飛んだ。
たった一回、練習に出られなかっただけで、随分と長いことメンバーと顔をあわせていなかったような気になり、なんだか勝手が違ってしまう。それも一緒にレパートリィ曲を流し始めるまでで、他のパートの(演者側としての)「聞きどころ」「聞かせどころ」、みたいな勘はすぐ戻ってくるんだけど。なかなか戻ってこないのは、自分の声の出し方。

まず、腰周りの筋力が落ちてる。
当たり前に出せていた音域でも、どうも不安定だ。バックコーラスでの「白玉」(ロングトーン)なんかは、同じ音を伸ばしている間に、息の流れる方向に従って上に力もうとするのを、みぞおちやら腰周りで、同等に下の方向へ支えようとする。息の方向へ同じようにイッテしまうと、胸に力が入ってコントロールされた声が出せなくなるから。
重いものを持ち上げたりするときにも使う、腰周りの筋肉だが、呼吸運動との共働として使うことは日常生活上ほとんどないので、こういうツケが回ってくる。

テナーに限らず、高い音程の声を出すときの意識のあり方も、ほぼ同様の理屈で、あごが上がってしまったら「ハイ、そこまでよ」、やはりみぞおちやら腰周りの支えが重要だ。なんとか声を出してはいても、本人としては、なかなか気持ちよく声が出ているというまでにならない(さっきまで仕事場にいたことを考えると、平日練習のバンドに共通の悩みかもしれないけど)。

帰りの電車の中で、さっき録ったばかりの録音を聞いてみた。やっぱり不安定、というか思っていた以上に鳴っていない。声が薄くて、音程だけあわせにいっている感じ。もちろん原因は俺で、他のメンバー全員、音感があるのでかろうじてカタチにはなっているが。実は久しぶりのアンサンブルが、あまりに楽しかったので、自分の声の出し方についてなんてここまでは考えてなかったです、ホントのところは。自分の音程やフレージングに、リアルタイムに応えてくれるメンバーと在るということが、ホントに貴重なことだと感じ入ってしまった。

さーて、7月の「本番」に向かってエンジン掛けるか、そろそろ。
8月「出走」のお知らせをくれた「しんぼりぱくちー」号の仕上がりは、どんな具合ですか。わが「ぺんぎんるどるふ」号は、なんかイチから走りこみなおし、という感じですが。現に今回の練習は、新曲よりも曲目リスト順に、お蔵だし、というか「トライアスロン歌い流し」でしたが(疲)。もちろんそんなに深刻なわけではなく、どこかこの状況を楽しんでいる自分がいるから、「本馬場」が続くというのはありがたい。「これだけの残り時間で、前回のあそこまでは、もっていけるだろう」みたいな配分も、多少は身についてきたかな。

なんかいろいろ考えだしたら、練習でさらった新譜の音が一晩中アタマの中で鳴り続けて、ただでさえ暑かったので、眠れません・・・。