私はいかにして、アカペラーになったのか-2- ★☆☆(定説の範囲じゃないかと)

さて、過去の途中で引っかかったままになってるあの頃の俺は、その後どうなったかというと。
今回、画像はありません。

高校の合唱部

はなんと、入学のタイミングを待たず入れ違いに廃部になっていた。一番の大誤算。あれほど中学で一生懸命打ち込んだ合唱と、少なくともこの3年間は無縁になってしまうのか、と少なからずショックは受けたものの、テツな属性を生かしてあっさり写真部に入部・・・というのはあくまでも学校側把握の、俺の表向きの所属。
高校2年のとき、クラスメイトに声をかけてもらい、当時一大ブームになっていたフュージョン・バンドで、キーボードを担当させてもらった。ライブハウス・デビューは歌ではなく楽器演奏で、客ではなく出演者としてだったわけだ(ここだけ読むと、とんだ不良みたいだな俺)。
一方、合唱の方は中学のOB合唱団に月2回ほど顔を出しつつそれなりに充足した生活だった。高校では校歌を、馬鹿でかい声でクソ真面目に歌っていたので、目をつけられていたらしく、これまた同級生からお声がかかる。これが話し合いの結果として、男声合唱愛好会という「非合法組織」を結成するに至った。このとき声をかけてくれた同級生はブラスバンド部で、2年のときに指揮者になる。その後は音大に進み、どうやらプロのオーケストラ指揮者になったらしい。
その非合法な活動内容だが、もちろん学校側に存在を把握されている団体ではないことと、年に1回、文化祭でどこからともなく現れ、現れる場所は専ら渡り廊下。マイク、スピーカの使用ができるわけもなく、そうなると声がよく響く、という理由。教師に発見される前に散会するのが鉄の掟、というものだった。
多感な時期のこと、演奏内容よりもすっかりこの「非合法」ということばにすっかり味をしめてしまい、これはどちらかというと本来、ROCKに耽溺・昇華すべきモチベーションだよな。当時のレパートリィはまだ、無伴奏とはいえ純然たる男声合唱曲や混声合唱曲の楽譜を、拙くアレンジしなおしたものばかりだったが。それでもお客さんからなんとか手拍子で「伴奏」をいただけるようなリズミカルな曲を選ぼうとする工夫が見られ、その後の俺の音楽活動の、「萌芽」が見える。

後年、

大学に進んで教育実習で母校を訪れたとき、懐かしの渡り廊下はまだ健在だった(さすがに今は、現存せず)。
丁度合唱祭の直前の時期で、音楽準備室にあるアップライトピアノがこの時期だけは、仮設の合唱祭練習場所として渡り廊下に担ぎ出されているのを知っていたので、これ幸いと放課後、翌日の授業の準備もせずに弾きまくっていたから、生徒には「社会科の変なセンセイ」と思われてしまった。
なお、愛好会の方は我々世代の卒業後、ただひとりの後輩がかけずり回ってメンバーを集め、なんと混声部隊になっており、その後も数年間は存続していたようだ。
高校時代に早くも、やりたいことは自分たちでカタチにしちゃえばいいんだ、という経験ができ、志を同じくするメンバーに恵まれたのは、幸いだったと思う。
携帯電話もインターネットも、もちろんまだなく、「ウォークマン」がようやく普及し始めた頃。
この後はっきりと俺自身の嗜好がDoo-Wopやいわゆるアカペラの形を取るのは、大学に進んでからだが、それまで歌といえばイメージするのは合唱で、何十人もの人たちが集まらないと演奏できないものと思い込んでいたところ、無伴奏音楽の機動力の高さをこれ以上ない形で体現することができた。
アタマでは知っていることと、実際に実行してみることで得られる手ごたえは、全く違うレベルのものだ。
その後もメンバーが変わったり、それまで積み上げてきたものが一気に崩れ去るような経験もあったけど、俺個人としてはなぜかまだこうして、歌い続けている。
今みたいに「コーラス5名+ボイパ」みたいなお手本になるようなスタイルはもちろんまだなく、演奏形態そのものも混声だったり男声・女声だったり、人数も最少3人から最大12人と、その都度変遷してきている。

それにつけても

最近思うのは、あれだけ熱心に演奏活動していた数多学生バンドが、卒業とともに簡単に歌うのをやめてしまう残念な状況。
もちろん卒業後の環境は様々なのだろうし、その上での苦渋の判断なのだろうけれど。
「学生時代と同じように時間を割いたり、高い完成度を目指せないから」という話を異口同音に聞く機会があった。
例えば何らかの理由でコーラスパートが1人欠けちゃったのなら、アレンジを変更できないだろうかと試行錯誤する、ボイパがいなくなってしまったらどうにかしてコーラスだけでグルーヴが出せないだろうか考える・・・。そしてそれこそが、自分たち(だけ)の演奏スタイルを創り出せる最大のチャンスなのじゃないかと、オッサンはこれまでの経験から思うわけだが。
もちろん最初から、何から何まで上手くいくわけはないんだけれどサ。
一度はある程度の形になっていたものに対して、それが壊れたとき周囲からの「評価」が下がる、ということについて過敏すぎるだけ、のような気もする。
本当にやりたいことって、何なんだろう。

こうして演奏スタイルを

自ら掴み取ったという意識がもてないから、まずは演奏スタイルに合わせて、できるかどうか、になっちゃうんじゃないだろうか。それでは「耐性」があまりに脆弱なんじゃないかと。最初から「かっこいいスタイル」があって、そういう情報がたくさんある、ということは、ある意味とても恵まれているような、却って身動きが取りにくいような・・・。
因みに俺寄でも、バーバーショップ・スタイルの演目も多くあるけれど、決してバーバーショップのグループではありません(笑)。日頃から真剣にバーバーショップを演奏している方々には、大変申し訳ないなぁ、といつも思うわけだが。

今日のまとめ

  • オヤジが思い出を語りだすと、つい長くなってしまいます。
  • 形さえ気にしなけりゃ、まぁなんとかなるよ、きっと。
  • まだ続くのかよ、とお思いでしょうが・・・。