そして、ツバメを見た。

抱えた想いが強すぎて、全く文章にまとまらない。
まとまらないのに、ことばだけは次々と沸き出てきてしまう。

一昨年6月、激務デスクワークの会社を辞めて、少しの間、引きこもりのような生活をしていた。
当然、ほどなく生活費が底を尽き、11月からの今の職場への就業が決まってから、10月に少しリハビリを兼ねて同業他社でアルバイト、11月に予定通り今の職場での仕事が始まった。2013年のことだ。このときは、全員が同日付けでの就業開始だったので、「仲間」を作りやすい環境だったともいえるかも知れない。
これははっきりいって偏見なので、読んでる女性が気を悪くされたら大変申し訳ないのだが、女性中心の前職場は何かと「正論」で押し切とうとする「学級会」気質な職場だった。俺の数少ないが複数の経験でも、女性中心の職場ってなぜかこういう雰囲気になってしまうようだ。俺自身が男性なのでなおさらなのかも知れないし、男性中心の職場のなじめない部分というのも必ずあるはずで、要は「バランス感覚」が大事、ということなのだろうけれど。
端的にいうと、何かその人にできない仕事があっても、会議はあくまで進捗報告の場でしかないので、進まない理由について耳を傾けてくれたり、一緒に解決方法を考えたりするのではなく、その当人への差し戻しになる…そんな職場になじめないまま、我慢して居続けていたら、早晩精神科のお世話になって程なく薬漬けになっていただろう。というわけで敢えなく13ヶ月で退職。ちょっと人間不信になっていたのかも知れない。
というのが、アレから少し経った今の、俺の認識だ。


そんな自分にもできること、ということで選んだのが単純作業中心の今の職場だったが、このトシになって、自身の「育てなおし」の場になったようだ。
仲間に、とても恵まれた職場だった。
公務員だった父が「仲間に恵まれた仕事」としてよく話してくれたのは、かつて一度あった職場の話だった。働くことを通じてそういうことは、生涯に一度あるかないか、だともいっていたように思う。
俺は(あの2008年前後の)中野での仕事経験が、そのたった一度だとずっと思っていた。前職では残念ながら上述の通り職場になじめず終わったものの、ありがたいことに「2度目」をここで迎えることができたようにすら思える。
その中で、挨拶や雑談の効用、ちょっとした声掛けが職場での人間関係にどれほど大切なのか、改めて思い知ることになった。
今は少し、みんなと隔てられた区画での仕事に従事している俺だが、今日も昼休みの始まり、16時の休憩で、それぞれ仲間が、作業に熱中していた俺に声をかけに来てくれる。概ね3人のチームで、俺以外の2人は曜日シフト。俺だけが平日休みの日以外は専従で、なんだか「小さな山賊団の頭」のようなポジションになってしまっている。
人からいわれたこと、いわれなかったこと、いわれたらお互いもっと気持ちよく仕事できるな、と思うこと。
一方もちろん、少し前の俺のように、俺から声をかけても不器用に反応を返してくれない人もいるけれど。
俺は今更こんなことを思っている自分が「普通」(のオトナ)だとは思っていない、そのことを自覚しているので、人から期待したことばが咄嗟に出てこなかったり、反応が返ってこなくても、その「理由」(のいくつか)について、思い巡らすことができる。まだ眠かったのかも知れない、ちょっとタイミングが合わなかっただけかも知れない、唐突すぎてすぐには反応を返せなかっただけかも知れない、ちょっと機嫌がすぐれなかっただけかも知れない…。
誰かにいわれたからやることでも、上司から指導を受けてやらされることでもない。
こうして共有される「情報」は、期せずして作業の進捗状況だったり、危険な作業から身を守る覚悟に繋がったり、何より仕事でミスをしてオチてしまった自身のストレス解消にもなった。こんなときの気持ちの切り替えは、本人の意識や気力だけではどうしようもないこともあるものだ。
そのうち、俺からも自然と笑顔が出てくるようになり、冗談もいいあえるようになり、少し辛いことがあっても笑顔でいようと思えるようになり…こんな気持ち、実は大学の合唱団で指揮者をやっていたとき以来だ。
そうしていつの間にか、ささやかな、大家族のようにやってきたんだよ、この1年と少し。少なくとも俺の中では大切だったのはカネ、ではなかった。
暑さも寒さも、死にそうになりながらそれでも励ましあって、なんとか一緒に乗り越えて来たんだよな、俺たち。


先日来の「悪い噂」は、噂の翌日には詳細が判明した。
会社の担当がすっ飛んできて、説明があったのだ。もちろんここに詳細は書けないが、簡単にいうと俺たちの「チーム解散」、ということだった。
その翌日の作業効率が一日を通じて100%を下回ってしまったのには、みんな俺と同じ思いだったのだろうかと思わず笑ってしまった。これ以上仲良くなってしまうと、いずれ訪れる「別れ」がもっと辛くなるんじゃないか、というような空気が職場中で感じられるような、妙にしらじらしい距離感にもなっていたが、みんな身体を動かしているうちに、いつものやり取りに戻った。
数字もさらに一日後には、通常レベルに戻っていた。
いつまでも続くかと思われた仲間同士のお定まりのやりとり、雑談、笑顔…。
「あと少しで見納めだね」
誰いうともなく、そんな会話が飛び交い始めた。
「仕事」なんて、仕事で知り合った関係なんて、所詮こんな程度のもんかも知れないけれど。
思い返せば激務だったが、この現場に行けばみんなと会える、そう思えば出勤できた朝も一日ではなく、「幸せ」だったんだな、俺。
ここ数日は頭の中で(バンドのレパートリィから)「さくら」(森山直太郎)がずっと鳴りっぱなし。実は今まで、アカペラ曲としてのアレンジのすばらしさ以上には、とりたててこの曲に思い入れがあったわけではなかったのだが、今は歌詞の一節一節、いつも以上に気持ちが入ってしまう。FANの方の演目からは外しておいて正解だったか。歌いながら俺自身が泣いてしまいそうだ。


生活事情は人それぞれなので、来週からいよいよ、仲間が櫛の歯が抜けるように転職していくことになる。俺は流されるようにこの職場に来たときから、「自分にできると思って就いた仕事なら、『結果』まで経験しとけ」との決意を秘めていたのと、今の上司にはとてもお世話になったと思っているので、この上司が去らない限りはと、この現場の「終わり」まで残る希望を出してある。しかしまさか、こういう形で終わりを迎えるとは、あの頃には想像すらできなかった。
仕事から帰ると、猛烈な無気力に襲われることが多くなった。どうやら肉体的な疲労、だけではなさそうだ。楽譜が全然、頭に入らない。明日できると思うことは、全て先延ばしだ。
俺が再来週、名古屋遠征からみやげを買って帰ってきても、一緒につまみながらみやげ話にあいずちを打ってくれる仲間は、いなくなっちゃってるんじゃないだろうか。


久しぶりに晴れた、仕事場に向かう朝、ふと鳴き声に上を見上げたら、今年もツバメが、電線にとまっているのが見えた。うっかり涙が出そうになった。