千葉英和高校吹奏楽部 定期演奏会

f:id:oku_anijin0406:20190505181659j:plain

この長~いゴールデン・ウィーク中で唯一、事前に予定としてあったもの。
吹奏楽の「定期演奏会」というものに行くのは恐らくこれが初めて、なのには自分でもビックリ。


とはいえ吹奏楽を聞きに行ってるのに、管楽器を聴かずにパーカッションばかり見てるとゆーことになるのはいつものこと。何しろハマッたきっかけがきっかけだったもので…妙な客で申し訳ない。
これが同じクラシックの演奏会でも合唱だったら、どこからともなく顔見知りから声をかけられやしないかとビクビクするところだが、吹奏楽、ましてや千葉ではまずその恐れは皆無なので、俺としてもいつも通り気軽に足を運ぶことができるというものだ。

f:id:oku_anijin0406:20190505093257j:plain
途中寄り道した「ゆらゆら橋」にて。
天気がよいので布団を干し、洗濯を済ませたものの例によってそれ以上ひとりの部屋では間が持たず、開場予定に1時間も早く着いてしまった。
京成線側からは「大和田駅から徒歩25分」とのアクセス案内だったが、地図で調べたら何のことはない、勝田台駅からフルルガーデン八千代へのシャトルバス(無料)を使って、フルルから歩けば徒歩10分だ。
シャトルバスを利用させてもらったことへの恩義から、昼食をフルル内のイトーヨーカドーで買って、八千代市市民会館のロビーで摂ることにした。
炎天下、歩道に木陰ひとつない新大橋を渡って会場の八千代市市民会館に着くと、結果オーライ…先ほどから開場待ちの行列が結構な長さになっている。学校関係者はさすがにこの数の観客も想定内らしく、受付から女性がひとり、「最後尾」のプラカードを持って立ってくれていた。改めてすごい人気なんだなーと実感。
予定より10分早い開場に、労せず1階の丁度真中あたりに陣取る。
通路側の方が何かと都合がいい気もするが、この様子だと満席になるのは明らかだし、もう今日は座ったら自席を離れない覚悟。
受付で手渡されたプログラムを改めて読むと、形だけでもフォーマルにしたがる昨今のプログラムとは違い、手作り感満載。
内容文章は、一部を除いて全て手書きだ。表紙も含めたイラストもロゴも、恐らく全て生徒たちの手によるもの。パート紹介は各パートが高校生らしくそれぞれに趣向を凝らしたもので、もうこれは俺にとっては一生の宝物。
末尾見返しには付箋が1枚貼ってあり、出演メンバーそれぞれが一筆書いてくれているものがランダムに当たるという趣向。演奏前だが早くもテンションが上がる。
f:id:oku_anijin0406:20190505093353j:plain
今回はホールでの演奏だったので、写真はこーゆー全体モノだけ。その分、いつもより演奏を堪能させていただきました。
冒頭、教頭先生のお話とプログラムへの記載内容から、前任の先生はどうやら体調を崩されて休職中とのことらしい。
病名・病状については公式アナウンスだけでは全くわからないが、この先生の指導を受けたくて進学してくる生徒もいるほど、吹奏楽界では顔の広い方なのだとか。
これだけ大規模な楽団に成長したので、さすがに顧問は複数配置されているものの、不意の指揮者不在にここまでの道のりは決して平坦ではなかっただろう。

3部構成のステージ合間には、舞台左右の張り出し部分で4~6人ほどの小グループが数曲ずつ、新旧様々なジャンルのアンサンブルを披露してくれて、客席を退屈させない。
2部のミュージカルでは衣装も変わり、メンバーそれぞれが楽しそうに演じている様子はそのまま個々人の性格が感じられて、微笑ましかった。
この時点で完全に演奏の虜、改めてこの吹奏楽部に惚れなおしてしまった。

そのプログラム記載によると、相変わらず見ていて微笑ましいほど仲がいいリズム隊の3人は同じ2年生。
演奏経験がある人はわかると思うが、ホールのステージ上、反響版の内側というのは出音が頭の上を回る、かなり特殊な音環境だ。
その中でコンマ1秒のズレがはっきりと演奏上の違いとなって顕れてしまう打楽器の打点は、客席奥の壁にあたって戻ってくる他の楽器のハーモニーに合わせていたのでは到底間に合わない。
指揮者の身振りからテンポを読み取ったら後は、自分たちの音に他の楽器をつき従えるくらいの主体性ある音(と気合)が必要なのだ。
メトロノームに合わせるだけの練習をいくらやっても巧くなれない理由が、ここにある。
千葉英和高校の打楽器はこの点、3人の息の合い方がぴったりで、恐らくは3人の間でこういうことを、演奏経験を通じて有形無形にちゃんと情報共有できているんだろう。
結果的にこのことが、この学校の演奏における「個性」になっている気がする。
名門校・強豪校といわれる学校の演奏をいくつか聴いた印象では、管楽器は高校になって初めて、という部員は実はそんなに多くはないと思われ、それゆえ「吹奏」楽に於いて意外にもこの、パーカッションの出来不出来が、演奏全体の出来を左右するアキレス腱な気がしている。

3部のエンディングでは大盛り上がりに。3回もアンコールに応じてくださり、打楽器を除く全員が客席に降りてきてくれて「シアターピース」状態。まさにホール全体が音で満たされていい気持ちになった。

しかし残念だったのはこの絶好のコンディションで直後席のご家族。
息子さんが恐らく吹奏楽部目当てで進学校を検討中らしいのだが、父親が(自身も経験者なのか)解説マニアで、いちいち演奏にケチをつけられているようでとても気分が悪かった。声も俺の大嫌いな高くてしわがれた早口声で、「まぁとにかく落ち着けよ」といいたくなる。
お説ごもっとも、「習高」や「市船」の方が少なくともコンクールランク的な演奏レベルは上、なのかも知れないが、俺には一糸乱れぬ演奏になればなるほど、奏者個々人の「顔」が見えなくなる気がして、どちらも実際に拝聴したがあまり面白いとは思えなかったものだ。

それと、動画撮影をしている人がかなり多かった。
ご家族がお子さんの成長記録を、ということもあるのだろうから、あまり厳しい規制はこの場にそぐわないが、暗転の客席では液晶画面は結構演奏効果に悪影響だし、中には操作音を切らない(切れない?)ままの人もいて、曲が終わるたびに余韻に浸る間もなく電子音が鳴り、その都度、気持ちが現実世界に引き戻される。
さすがに演奏中、デジカメでフラッシュを光らせるような愚か者はひとりもいなかったが。

表現者としての俺自身は年とともに感性が鈍ってくるものだと思っていたが、こういう場に身を置いている限り、感情が深く抉られて、まだまだ多くの刺激を受けることができる。
年とともにすっかり涙もろくなってしまったのは、単なる老化なのか、それとも自身の人生経験のせいなのか。
とにかく演奏者と一緒に「音楽の旅」をしてきたようで、終わってみればあっという間、まさに夢のような時間を過ごすことができて、その感動はとてもひとことでは表すことができない。
冒頭、「知り合いと鉢合わせになる可能性がゼロなのが気軽でいい」とは書いたものの、この感動をその場で分かち合える人が隣にいない、というのも自身の内側にフラストレーションが溜まる感じ、ではある…。