え、駅へ…。

行きたいんだけどな、ぼく。
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定期券、期限切れちゃったんで更新したいんだよ。


前夜の缶ビールが身体に残ってて、10時過ぎまで布団の中だ。
午前中、習志野は猛烈な大雨だったらしい、が俺は全く知らない。
No Beer, No Life!
仕事場ではひとつずつ片付けていたんでは定時にアガれないので、常にふたつ以上の仕事に手を動かしているような具合なんだが、元来の俺はそんなに器用な人間ではなく、まだ寝ぼけた頭で、今日一日の段取りすら決められないでいる仕事休み。

何の脈絡もなく先日、友人がお受験の話を持ち掛けた相手のお子さんは登校拒否児だった、という話を思い出した。
「子育ての先輩」の意見にすがりたいほど切実ではあったのだろうが、全くお役に立てない話だったなー、と俺は思ったものだが、そんな話をした別の友人の反応は、
「むしろ(この先万が一のとき)頼りになるよな」
だったから、人間わからんもんだ。
どれひとつとっても「球が思ったところに来ない」話のようでもあるが、逆にことほど左様に思ってもいない反応が返って来ることほど興味深いこともない。

俺が学生の当時はまだ登校拒否という便利な「制度」自体もなくて、自身が教育実習に行く段になって初めてクラスにひとり登校拒否の生徒がいると聞いて、「そんな手があったのか!」とカルチャーショックを受けたものだ。
そりゃー何しろ(元)教師のウチの両親の口からは、「今日は無理しないで学校休んだら?」ということばは出ないので(笑)。
不覚なことには俺自身にも「学校に行かない」という発想はそもそもなかったので、苦し紛れにでも最初にこれを「考案」したヤツはやっぱりスゴイと思う*1

そも登校拒否の原因が全てイジメに起因するとも限らないが。
今は俺たちの学生時代と比べものにならないほど、同調圧力もイジメもはるかに陰湿で生命そのものに関わる事態になってしまっているようだ。何より「ハブる」ツールに事欠かない。
しかし俺だって人間関係や体調の浮き沈みも含めて、登校そのものがツラい日もあったわけで。実際その渦中にいるとその状況が本人にとっては当たり前になっていて、「ツライ」という認識すらできなかったりする。
ステロイド剤のリバウンドで寝込むほどの事態になってようやく、俺は本来こんなに重い症状を強い薬で押さえ込んでまで「日常生活」を送ろうとしていたのか、と涙が止まらなかったものだ。気合、というか心が、とっくに無理がたたって悲鳴を上げていた身体の声に一切耳を貸さないまま、ここまで身体を酷使してきちゃったんだな、と。

かように人は(俺は)、自分自身のことが一番わからないものなんだと痛感した。

「わからない」といえば*2、教員も教育委員会もイジメの「公的」支援の相談専門家すらも、大学を卒業してそのまま教育現場に就職、実は学校しか知らない、「わからない」人が大多数なんじゃないかと思ったりする。
俺なりに考える「バカの壁」というヤツだ。
俺は倉庫街で肉体労働に従事した経験を通してようやく、このトシになって「学校の外の世界」(学校が教えてくれない社会)を見る目が少しは身に付いたかな、という気がしている。
自身の外界認識力(の限界)との、闘いはまだまだ続く。

イジメに遭っている子どもが俺ごときに相談してくる機会があるかどうかはわからないが、だから親や先生や専門家に相談してみたら、などという通り一遍で迂闊なアドバイスは、俺ならしない。
自身の生命そのものに関わる事態なのかどうか、という危険察知の感覚を磨くこと。これはダメだ、と思ったら躊躇なく逃げ出すことを決して恥と思わないこと。相談するなら学校の外の世界の広さを知っている人にすべし…。

学校現場からイジメを根絶しよう、という動きもあるらしいが、潜在化の危険だけでなく俺には賛同できない。
学業成績、売り上げ達成率、具体的に数値化できる指標だけでなく、態度や容姿の差、協調性や社交性など安易に数値化できないものまで、そこに優劣を見いだせる場なら、イジメはどこででも発生し得る…実際、社会に出ればイジメはあらゆる場面で存在しているし、決してなくなったことがない(恐らく文部科学省の中にだってある)。
事件に発展、露呈したイジメ案件では司法による検証段階ほぼ全てで、イジメる側がイジメている認識がない、という重い事実からして、さながらイジメを学校の「病巣」のように考えて、簡単に「摘出」「退治」できるようなものと考えてはいけない。
単純にそうできると思っている人がいるとしたら、その「純粋さ」の方が俺には怖い。
こういう人は同じ発想で物事の「善悪」を一方的に決めつけて何の疑いももたないような気がする。誤解を恐れずいえば、イジメる側もイジメられる側も、どちらかが「100%悪」などということはそもそも有り得ない。
ともかく、登校拒否というまだまだリスキーな手段をとってでも、学校というものが学生にとって世界の全てではなくなってきているのは、歓迎すべき傾向なんじゃないかと思う。
社会に出てくる若者たちも、学校を何のひっかかりもなく卒業してきたヤツの方がいずれは少数派になって、本当の意味で今よりも「多様な人材」が増えていけば、まずはお互いにわかりあうことが大切、という機運も今よりは多少身についてくるのではなかろうか。学校も10年一昔の旧態依然な指導要領ではなく本気になって実践的な学習カリキュラムを組まないと、生徒の方から見向きもされなくなる。
そもそもみんながみんな違う、という前提に立つことができれば、イジメそのものが馬鹿馬鹿しい行為になってしまうはずだ。「それ、地球の裏側の人たちにも通じるの?」ってな具合。
下手に「みんな同じで、みんないい(?)」みたいな矛盾をはらんだことばが教育現場(だけ)でまかり通っていることが問題の本質か。

なーんてここまで感情に任せてことばを走らせてから、己の右脳の命ずる勢いにまかせて、とりあえず床屋へ行きたい。もう限界。
…と、そういえば改札口目の前にあるQBハウスは前回から¥1,200になってたんだったっけ。
案の定、待合なしの緑のランプが点滅しているが。
幸い今日の俺は時間が定められた予定があるわけでなし、ダメ元でクイックカットBBの方に足を伸ばしてみるか…って、やっぱりこっちも足並み揃えて値上げ済かよ。
QBハウスでは値上げの理由で「従業員の待遇改善」を謳っていたが、その分給料ちゃんと上げてもらえたのだろーか(疑いの目)。
こちとら給料は(最低賃金額はじわじわ上がってきているのに)1銭も上がっていないので、サービス内容が不変なら消費税と同じく「むしりとられた感」しかないんだが。

そういえば先日の市民税課では、「来られないときはご連絡くださいね」と念押しされたものだが、今になって思うに「ツッコミどころ」だったなぁココ。
5月は勝手に「祝意を示す」ことを決めてあの長大なGW。日曜開庁日を取りやめやがって自分たちはさぞかし遠出のご旅行、できたでしょうねぇ。こちとら仕事しなきゃカネにならんので勝手に連休取らされただけでも腹立たしいのに、この減額が支給額に反映される6月には「いつも通りやってます」といわれたって、来られるわけがないだろっ!
アンタの給料、俺の何倍だって?
へー、7月の休日開庁日は2回もあるんだー(なぜ?)。

まぁわざわざ足を運んだこともあり、今日はBBの方でカットしましたけどね。
同じ駅ビルの1階では、警備員が出るほどの行列が。雑貨屋の「閉店セール」だった。実態不景気なご家庭の懐具合は身につまされてよくわかりますが、極私的にはなんだかハイエナの群れのようにしか見えず、この手の「まつり」にはイマイチ、参加する気になれないんだよな俺は。

このところは何事もないので、2ヵ月に一遍になっている内科通院。
先生このところ体重管理に煩く、仕方なく体重計を買ったので通院前に勇んで測ってみたところ、前回のご報告から3kg減であった。
先生からはお褒めのことばをいただいたが、そりゃー食べてないもの、減るでしょーよ。
炭水化物ダイエットなるものがあるが、当座腹がふくれる炭水化物しか食べてないし俺。

10月の消費税値上げを見越して鉄道各社からは、運賃値上げの申請ご報告。
そんなお仕事も選挙関係も徐々に増えてきていて、我が社としてはちょっとしたバブル景気になっちゃってるようだが、数こなしたところで俺の給料上がるのかよ、とどこをどうやってもモチベーション全く上がらず。
スーパーでは「生産体制が間に合わないため」ティッシュペーパーが「おひとりさま1点限り」だそうだ。なんだか悪夢よ再びな感じ。
俺自身の経済的「肌感覚」を信じれば、もうインフレは確かに始まっちゃってる。
モノの価格はジワジワと上がっているのに、給料だけが上がらない。
来週からはまた、昼食抜きの「ハンスト」状態に入らざるを得ないな。
参院選の争点だか立候補者が既婚者だか子育て世代だか知らないが、まぁ「正規雇用」の方々だけでよろしくやってくださいよ。

社会構造にイジメられている、というあらぬ方向へ捻じ曲がった「被害妄想」が、すっかり習い性になりつつあるよーで。

*1:世間体だとか子育ての困難さだとか、今の俺に想像すらできない部分は除く。

*2:なにこのマジカルバナナ的な展開(笑)。