悪夢。

いつから音楽が「仕事」みたいになっちゃったんだろう。
だらだらと終わりどころを失って続いているけれど、若い頃に比べたらもうここ何年も、すっかり「自分がやりたいこと」ではなくなってしまった。

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「青春ゾンビ」ですら、すでに年下。


一方で古い友人と逢ったり、音楽や物語に感動したり、心から何かを楽しんだり…自身の感情が大きく揺さぶられるような体験をするたびに、不意に「夢」だったようなものもいくつか呼び起こされてしまい、逆に自分はまだ何かかなりのものを「抑え込んで」生きているらしい、ということを強烈に自覚させられる。
未だもって実現に向けた努力も見えない程度のものを果たして「夢」と呼んでいいかどうかは、わからないが。
もうどうやっても叶わないのだろうかと、絶望に近い感情に潰されそうになるのが怖くてまた、心を閉じる。その繰り返し。
こうして何とか抑え付けられているうちはいいのだが、手詰まりだ。
その向こう側に透けて見えるのは、自分が壊れてしまうのではないかという恐怖でしかない。

よく行く駅前のコンビニでさっき見かけた30歳代くらいの男性。がっしりずんぐりとした体形で、背丈は俺より少し低いくらいか。
顔を中心に、かつて俺がそうだったような重症の「ステロイド皮膚症」のようで、全身が膠原病みたいに茶色く変色した肌、表皮は乾ききって粉をふいたような状態。顔は無精髭だが薬剤にただれたように真っ赤で、さながら赤鬼のようだ。クーラーの効いた店内で「スイッチ」が入ってしまったのか、あたり構わず泣きじゃくるように顔を引っ掻いていた。
ここまで症状が重くなると元の造作がどうであれ、みんな似たような顔つきになってしまう。
身に着けるものも皮膚を刺激しにくい材質の、血痕や汚れが目立ちにくい色を好んで選ぶようになるので、その容姿はかつての俺自身だ。

いったい、「痒い」という表現で一括りにしていいのだろうか、あの強烈な感覚は。
確かに傍目にその所作は「掻いて」いるようにしか見えないから、「痒い」のだろうと思われているのだが。
一度でもステロイド剤を用いた部位から、皮膚の奥深く、まるで骨から次々と沸いて出てくるようなあの感覚は、健康な皮膚の人が感じる「痒み」などではなかった。いくら引っ掻いても、たとえ皮膚を引きちぎってみたところで、決してこの「痒みの原因」にまで手が届くことはない、あの感覚。
それが当たり前だと思っていた頃は俺も、痒みとは等しくみな、こういう感覚のことをいうのだとばかり思っていた。
ステロイド剤をやめて、更に重篤なリバウンド症状の最中にいたある晩のことは、今も忘れられない。
大の男がうめき声をあげずにはいられないあの強烈な「痒み」が、その晩を境にピタッと止んだ。
もちろん皮膚そのものが修復されるまでには更に長い時間がかかったが、我慢するために全身を硬くして息を止め、そうしている間はずっと、耳の中では嵐のようなゴーっという音がしていた、そんな「騒々しい夜」から一転、真夜中の静寂の中に不意に放り出された俺は、今までのソレは一体なんだったんだろう、という戸惑いの中、ひとり布団の上に座っていた。

その後は掻けばちゃんと手が届く表皮の痒みだけで、我慢しなければならない場面では我慢もできるし、そっと手のひらを痒い部分に当ててやれば爪をたてなくても痒みは止まる。今まで自分が痒みだと思い込んでいたものとは全く次元の違う感覚だった。

俺は医者ではないし、彼をコンビニで見かけたというだけで「俺と同じ病気」と思い込んでいるが、違う病気の可能性だってある。
仮にここまでが俺の想像通りだったとしても、足掛け10年にもわたる俺自身のこうした「闘病」経験を考えると、もちろん俺と同じ「治療法」を手放しで勧めることもできない。
しかしこうして苦しんでいる様子を目にしてしまうと、かつての自分自身を見ているようで、何か声をかけたくて仕方がなくなるのだが、どういうことばをかけたらいいのかもわからず、なんとももどかしい。

気休めのことばをかけてみたところで、いったい何になるというのだ。
人生の一番恵まれた時期であるはずの年代を無為に闘病だけで過ごすことの悲しみは、誰あろう俺が一番よく知っている。
運よく今の治療を続けて数年後、見た目「治った」にしても、それこそ今の俺のように、ある種の感情を圧し殺したまま生き続けることに、いったい何の意味があるというのだろう。
症状に悩まされることこそなくなったが、俺だってそういう意味ではまだ、完全にこの病の影響を脱しきれたわけではないのだ。
ここまでの「仕打ち」を受けねばならないほどの何をしたというのだろう、「彼」が。

実際のところ、赤の他人からいきなり声をかけられたら不愉快以外の何者でもない。
加えて「外見の病」、ただでさえ他人の目を気にしながら生活しているのに、いきなりその「核心」に斬り込んでくるような「蛮行」に遭ったら、俺だったらその場で一気にぶちキレるだろう。
見ないフリが一番、ということも世の中、確かにあるのだ。

ただ、逆にどんなに親しい間柄であったとしても、「掻くな」ということばだけは、俺の口からは絶対にいわないことにしている。
身体中を掻き毟るその様がどんなに不快に映っても、皮膚を傷だらけにしてしまうのではないかと心配になったとしても。
「知ってる」俺にできることといったら、その程度でしかない。