ツイてない、日曜日。

昨土曜日の過ごし方を間違えたか?
缶ビール煽ってさっさと寝ちまおうと思ったが、こういう時に限って中々寝付けず。

加えて誤算だったのは「お隣様」が、いつも通り午前3時過ぎまでの宴会モードで、大きな笑い声が沸き起こるたびに寝つきを起こされた。
そんなわけで、二度寝、三度寝、とやっているうちに、午前9時を回ってようやく起床。身体を起こしてはみたが二日酔いに加えて、朝晩逆転したような、時差ぼけのようなグラグラな状況。昨日のエアレース観戦も、思い返してみれば結構な距離を歩いていたようで、両足太股の内側が久しぶりに筋肉痛一歩手前だ。
ゆっくり起きて朝食を済ませると少し横になり、ようやく12時前になって、これは本来の予定通り市民プラザ大久保へ「ロシア兵俘虜収容所 もうひとつの日露戦争」展に足を運んだ。

昨日・今日津田沼で行われている「ソーセージ&ビールフェスティバル」だが、その西欧交流のきっかけとなったという俘虜収容所は、この街のどこにあったのだろう、という今更ながら素朴な好奇心から。俺にとってはなんともタイムリーな催しだ*1
しかしその展示内容は、思っていた以上に素っ気なく…俺はなんとか古地図を読みこなせたから、それが現在のどの辺りかはわかったが、こういう風に「現在」から遡る、というか「街の記憶」として現在に続いている、という視点で見せて欲しかった。
ここ最近の傾向として、各テーマ担当者(?)が、調べたことを惜しみなく披瀝してくれるのはありがたいが、ときに各論すぎてしまい、それらの出来事が現在の我々とどこでどう繋がっているのかがわからないのだ。俺のように少しばかり歴史に興味がある人間ならまだいいが、必ずしもそうでない人たちにこの街をもっとよく知ってもらおうと思っていても、興味も共感も得られないだろう。
そういう展示内容から感じ取れるものはどうも、専門的な解説というよりは、その辺の爺ちゃん婆ちゃんたちが寄り集まって、「俺たちの若い頃、この街はこうだった」という、世代が違う我々からみれば言いっ放しになっているアノ感じに似て感じられてしまう。
そういう意味では、開催趣旨については入り口で触れられていたが、展示全体を俯瞰する案内もなくて、展示パネルを一枚移動すると、いきなり北方領土問題から対馬、地元の偉人誰某の紹介だったりして、それぞれの展示内容の繋がりが薄すぎてわかりにくい。
更に細かいことをいえば、正式な歴史書から抜粋されたような史料も、今やインターネットの世界でも出典記載がない情報は信じられない、というのが我々素人の間でも当たり前になっているのだが、出典記載がほぼなくて、ひどいものになると発生年の記載が西暦なんだか元号なんだかもわからない。
日頃から研究されている方々にとっては、これらが起こった時期は当たり前にご存知なことなのだろうけれど…。
まぁ公民館の無料展示なんてこの程度、といってしまえばそうなのだが、年々展示内容がひとりよがりになっていってる感じがしていて、これらの史料と分析を受け継ぐ「次世代」が育たないまま高齢化が進んでいる結果だとしたら、とても残念なことだ。
よくも悪くも、手作り感満載。
来場者アンケートの備えがなかったので、俺としてもこうした個人的な思いを、主催者に直接お伝えする手段がなかった。
まだまだ時間的には余裕があるが、今からエアレースに行く体力は、どうやら残っていない俺。

*1:実際には明治末期、日露戦争時代に作られた俘虜収容所だったが、日本で初めてのソーセージやオーケストラといった文化交流は、約10年後に第一次世界大戦下、ドイツ軍俘虜が同所に収監された頃、だったらしい。