ノッてけ、ノッとけ。

f:id:oku_anijin0406:20200228215335j:plain
一年を通じて今頃からGW前あたりまでが一番の繁忙期な我が職場(というか俺)。


ここ半月ほど、自身の業務に関する「交通整理」のために、ホワイトボードを買おうと思っているのだが、そしてすでに上司の購入許可もいただいているのだが、どうも最後の一歩に踏み切れない。
シマの角位置にある俺のデスクは、左手にあるパーテーションが掲示板替わりになってとても重宝なのだが、残念ながらマグネットは使えない仕様。今は直接セロテープ貼りで対応しているわけで、見てくれが多少難ではあるものの、これをホワイトボードにしたところでさて、何を貼る?
あの、毎週配布されるものの何の役にも立たない上長からの「週間予定表」を掲出しといたところで、文字通り何の役にも立たないしなぁ…。
そもそも旧事務所での俺のデスクは幅が今の半分しかなかった。もちろんパーテーションもなかったが、とりたてて問題を起こすことなく粛々と業務を遂行できていたわけで。仕事量はもちろん増えたが、性質は基本的に何も変わっていない。
だとすればこれは、「退化」ではあるまいか?

加えて今現在、購入に二の足を踏んでいる最大の理由(いいわけ)は、
せっかく買っても「明日」、出勤停止になっちゃうかも知れないじゃん、
だったりする…いけませんねーこんなことでは。経済が停滞・縮小してしまいます。

世間では今日になってこの騒動のフェーズが、マスクからトイレットペーパーに移行したらしい。
大方また、ワイドショーあたりに煽られたんだろうと思うのだが、俺は相変わらずテレビを見ない生活を続けているので詳しい経緯はわからない。

思えば時期的には、東京マラソンで一般走者の参加取りやめがニュースになったあたりから妙だった。
「参加料はもう使っちゃったので払い戻さない」
という話には、あぁ最悪東京五輪がぽしゃった際の試金石だな、くらいに思っていたのだが。
この件も最終的にどう落ち着いたのか知らない、というくらい無関心な俺にとっても、世間の反応が総じて「ものわかりが良すぎる」方向で、よくいえば理性的で、思った以上に薄かったように感じた。

一方で、その原因となったコロナウイルス騒動の方は、ネット・ニュースに付属しているコメント欄を見る限り、ややヒステリックな、八つ当たり的な反応が多く混じってて、常日頃から「丁寧な」説明に終始してきた政府発信の情報に対する、ある意味素直な反応なんだろうなーと。

この対比が「よそ者」な立ち位置から見ていた俺にはどうにもちぐはぐ、必要以上に両極端に思えて、そんなグラグラな心理状況を耐え忍んできた時間の長さ的にもそろそろ、「お祭り」になっても仕方ないかな、というタイミングではあった。
アドラー(心理学)的にいえば、そもそも理由なんかなくて、そうしたかったからそうなった、原因は何であれそろそろ「お祭り」を欲していたということじゃなかろうか。

そりゃこれだけ得体が知れないんだから、誰だって不安だ。不安だよねぇ何かしてないと。
そんなとき、いつも商品で溢れてるコンビニの棚が偶然カラなのを目にしたりすると、
「誰か」が何らかの意図をもって、買い占めたんじゃないだろうか。
その意図はわからないが、この大きな騒動にきっと関連があるに違いない。
場合によっては何らかの「有効な」手だてか、「必殺技」になるものじゃないのか疑心暗鬼。
ノッてけ、のり遅れるな、この波に。
というわけで日頃は冷静なウチの上司も、今日は奥様からのメール指示に従って、地元では早品切れ、というだけでトイレットペーパーを探す「旅」に出られました退勤後。
日頃買ったことがないものを、買ったことがない人が買おうとしているわけで、単純計算で「需要」が倍に跳ね上がったことになる。
っつーかご家庭にもうありませんか、トイレットペーパー(たまたまこのタイミングでそういう状況だったら、ご愁傷様としかいいようがないが)。

で、この「お祭り」の主催者は、どちらさん?
別に俺は、務めて冷静でいようとか、理性的な態度で、とか説教臭いことをいうつもりもないし、俺自身もそういう態度を貫こうとしているわけではない。
ただ単に、この「お祭り」にはまだ参加したくない、だけ。
さて、トイレットペーパーの次は何でしょ、楽しみ。

news.yahoo.co.jp
俺の場合、自身が「加害者」になることを恐れなければならないような人間関係は、すでにことごとく断ち切ってきちゃったので気遣いないが、ここ1年以上テレビを見なくなったのは、どうやら理に適っていたらしい。
音楽すらかけなくなって無音の、夜のひとり部屋にもすっかり慣れた。
実はテレビをやめるのって、コレが一番難しかった気がする。
誰も見ていないテレビがずっと鳴っていることの「安心感」からの、離脱。
(まぁ同居人がいたりすると、それとは気づかずにテレビ「依存症」だったりするからねぇ。あとは会話が途切れることへの無意識からくる恐怖心から、だったりとか。)
逆に、毎日が大晦日のような静かな夜の過ごし方に慣れちゃうと、これはこれでテレビがあった頃の騒々しい夜には、戻れる気がしない。
そうしてまた、誰かと一緒に暮らすことができなくなっていってたり…。