めめしい。

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今年は幹の根本にプレゼントも!

今は2か月に1度になっている通院。といっても本人、別に自覚症状・不具合はない持病の予後観察。


待合室で、甲斐甲斐しく走り回っている看護師さんたちをそれとはなしに眺めていると、こんなときだからか、命と向き合う仕事へのモチベーションって、どこから来るものなんだろう、と漠然と思う。
いったいどれほどの経験があって、この仕事に就こうと思われたのだろうか。
同じ「仕事」と括ってしまうにはあまりにおこがましいが、いわゆる事務職しか経験したことがない俺には全く伺い知ることのできない世界がすぐ目の前にあるのが、今日の俺にはなんだか不思議に感じられてならない。

6月に買って、一旦は途中まで読んでそのままになっていた『20歳のソウル』を、アタマから読み直している。
間が開きすぎて、どこまで読んだかわからなくなっちゃったのだ。
折悪しく、「市船」の部活動でクラスタ発生の報があったが、皮肉なことにそれで思い出し読みしてたりする。
病院の待合室という環境がリアルすぎて冒頭からいきなりウルウルきてしまい、慌てて一旦、本を閉じたところ。

自宅で夜、風呂につかりながら一気に読んでしまった。
泣いた(嗚咽)…独り暮らしでよかった。
2017年1月当時の俺はいったい、何をやっていたのか。つい自身のブログで確認してしまったりして。
当然、もう千葉には住んでいたが。
著者も、新聞の投書欄がきっかけの後追い取材だったとのことだが、俺も間近でこんな劇的な出来事が起こっていたなんて、知る由もなかった。
吹奏楽部に限らず、「市船」の活動が地元に脈々と根付いているらしいこともわかった。
地元では大きな「船橋ミュージックストリート」という音楽イベントには俺も、初回から何度か出演させてもらったが、ここの主軸スタッフは地元の吹奏楽団の方々で、もしかしたらその多くが「市船」の吹奏楽部出身者だったのかも知れない。
福祉や医療関係者のような、誰にでも「開いた」感じの人たちばかりで、それはときおり芝居がかった感じにも見えてしまい、正直俺は苦手意識しかなかったが。

ニュースでは、わかりやすく人の移動と感染者数との相関関係が説明されていた。
危機意識が高まった北海道と大阪ではこの半月ほど、繁華街への人の移動が減少。2週間ほど遅れて感染者数が減少傾向に転じ始めている。
一方の東京都では、人の移動はこの間横ばい状態なのだが、感染者数の増加は止まらないだけでなく、かつてない急勾配で増加のカーブを描いている。「横ばい」のレベルが感染を抑えるには高止まりしすぎている、キャパオーバーということらしい。

この期に及んで政治家のことばは相変わらず、全く響かない。
日頃から自分に不利なことがあると話を逸らすか「丁寧な説明」とやらに終始するかしてきたもんだから、こういう肝心なときにすら、正直耳を傾けようという気にならない。
発言内容もどこか他人事で、「専門家のご意見も伺いつつ状況を注視」…って、結局見てるだけかいっ!
ヨーロッパでは「変異株」が発見されており、ウイルスごときでも地球上での生き残りを賭けて必死だというのに、当事者意識も、ましてや先手を打つつもりもないらしく、「他国の状況も鑑みながら、対応を協議していきたい」…をいっ。

それにつけてもバカどもが、国からの支援(Go To)という名の札束で頬を叩かれて、早々と気を緩めて移動しまくったお陰で、2月当初からずっと専門家が警鐘を鳴らしていた冬季流感の時期とコロナ感染者増加のピーク時期がドンピシャじゃねーか。

閑話休題
Twitterを見ていたら、今でいうところの極私的「推し」である高校の吹奏楽部が19日に、無観客で他校と合同演奏会(クリスマス・コンサート)を行ったと、久しぶりに明るいニュースが。
当日のライブ配信がそのまま記録として残っていたので、ざっと見た(なにせリハーサルを含めた収録時間が、5時間以上…)。
…見るんじゃなかった、逆の意味で。
コンクールも定期演奏会も開催の見通しが立たず、次の演奏機会の目途すら立たない状況の中で、淡々と練習してきた生徒たちの気持ちを思うと、涙が出てしまう。
他ならぬ俺がいうのもなんだが、若い頃の経験で無駄なことなどひとつもない。
仲間たちと過ごす毎日は、その内容がどうであれ、いつもの年とは景色がかなり違っていても、きっと確かな絆と自信になるはずだ。

なんとかこの、いただいた感動を直接お伝えする方法はないものか(いや、やめとけ。ただの変質者だと思われるのがオチだオッサン!)。
でもやっぱり、欲をいえば迫力ある生演奏の音で聞きたかったな…。

このコンサート、昨年の台風被害によって失われた地元・新川の「千本桜」を復活させようという方たちのご支援の下、チャリティーとして開催されたものだった。
その桜の咲くころには、以前のように生演奏が楽しめる環境になっていますように。
まだまだ俺も(自粛生活)頑張るとしよう。
…しばらく俺、使い物にならないかも(仕事)。
後日、職場での昼休みに他のスタッフとそんな話をしていたら、「阿仁さんは感受性が強いから」とすっかりお見通し。
最近の俺は、嫁も子どももいらないから孫が欲しい、とか無茶苦茶なことを考えるようになった(笑)。いよいよ枯れてきたのか、それとも…?

しかしこういうご縁ならせっかくなので、些少ではあってもぜひ寄付させてもらおうと思い立つ。
在りし日の千本桜の巨大なチョークアートが設置されているという、募金の拠点になっていそうな、協賛団体としても名前のあったショッピングモールに問い合わせの電話を入れてみた(これ、結構勇気いることなんだよ俺には)。
募金箱でも設置されていてさぞかし大々的に…などと募金活動に前世紀的で素朴なイメージをしていたところ、今どきは「クラウドファンディング」なんだそうで、募金箱の設置はしていない、とのこと。
ネット弱者な俺としては、ここですっかりくじけた。
念のためサイトを拝見してみたところ、「一口¥2,000から」とあり、今の俺の懐具合には負担が大きすぎ。
案の定「残り4日」現在で達成率も13%と低調で、なんでもかんでも(手間を惜しんで)ネットに頼ってたんじゃ、肝心の本気度も熱意も伝わらないよなそりゃ。
クラウドファンディングには、向いている募金とそうでない募金がありそうだどうやら。
こんなときだからなりふりかまわず、思いつく限り幅広い方法で募る、というような発想はなかったのかね、ととても残念に思っていたら、今回の「旗振り役」はやっぱり民間ではなく自治体だった。
返す返すも残念だが、今後もご縁があるようなら別の形で支援させていただこうと思う。

途中で立ち寄るつもりだった、期待の予定がとん挫してしまったので、アメリカのロック・ギタリスト(誰?)のように長髪にするつもりだったもののすっかり鬱陶しさに耐え切れなくなってしまった髪だけは、今日中になんとかすることにして、久しぶりに下り電車に乗って床屋へ。
以前の職場にいたときはよく立ち寄っていた店で、最近の感染者急増を思うとどうしても上り方面に足を向ける気になれないのだ。
平日も昼をかなり過ぎて午後の中途半端な時間帯ということもあって、店長ひとりの時間帯だったらしいが、客は俺の後にひとり入ってきただけ。
丁度前の人が終わったタイミングで、念入りに掃除、消毒もしてくれていて、好感が持てた。
帰りは気分を変えてバスにしようかとも思ったが本数が少なく、往路と同じ電車で帰宅。

ああ、100均くらい覗いてくればよかったな。
レジ袋が有料になってしまったのでマイバッグを持ち歩くようになってから、手頃な大きさのゴミ袋がすぐに底をつくようになってしまったのだ。