新年度。

我が国の毎年4月1日は、さながら新人「狂騒曲」。
真新しいスーツに「着られちゃってる」新人たちが、ただでさえ人であふれている朝の駅なかで、右往左往。


階段の脇や、降り立った切り返しの手すり、エスカレータの降り口など、こちらが全く予期しない場所で、スマホ片手に立ち止まってたりする。乗り換え先の確認だろうか、いつもの「移動」にも数秒程度の微妙な遅れが生じて、腹立たしい。
また新人に限らず、閉まりかけた電車のドアに容赦なく駆け込んでくるヤツも増えたりして、ひいてはそれが電車そのものの数分の遅れに拡大しかねない。
いよいよ春の新生活が「本気」を出し始めたようだ。

…などということにイライラしていたのは数年前の俺。

今やすっかり習慣化した早朝通勤のお陰で、ガラガラの電車内での顔ぶれはほとんど変わることはなく、こうした新年度の悪影響も受けなかった。
新卒新人で、ここまで早朝から出勤しようと心掛ける奴もおるまい(第一、社屋に入れないだろうし)。

早朝辿り着いたまだ誰もいない旧社屋で、先月亡くなられた前社長の気配をいつも以上に感じたりする。
現役時代に前社長が愛用されていた文具やその他のものはかなり減ったが、それでもまだたくさん、そのままの場所に残されて「主」の帰りを待っているのが目についてしまう。

この日の仕事は午前を中心にほぼ俺の思惑通りに片付いた、一人区の金曜日。
山を超えた感じのある「繁忙期の尻尾」な仕事はここで一旦止めて、新年度関係の書類を優先してやっつけた。
それでも合間合間に差し込まれてくる、全国自治体からの「理不尽なご要望」には毎年この時期、閉口する。
新年度にもなっているのに事前見積もりから手続きが始まるところ、発注しといて「〇万円を超えてしまったので、経理規定により」書類の再提出とか体裁変更とか、どう考えても必要なもの以外に山ほど専用書式を送りつけてくるところとか…。
こちらからのご案内には、(入力等の段階で間違いが起こりやすくなるので)「当方所定の書式でご連絡を」と書いてあってもこういう自治体に限って、だいたい自分達に都合のいい方法で連絡してこられるので、一旦こちらの所定書式と見かけを揃えてから入力しなければならない、二度手間だ。
そうはいっても大多数の自治体では、最小限の手続きで回してくださっているので、では数少ない自治体ではいったい、どんな(不正)行為を防止する意図があってここまで手続きを煩雑にしようとしているのか、俺の弱い頭では全く理解できない。まさに「手続きのための、手続き」になっているわけで、押印制度がいつまでもなくならないのと同様、こうした無駄が続く限り、事務職も未来永劫安泰なことだろう。
俺もその事務職の端くれなのでわかるが、どんなに手間だと思う仕事であっても、自分から手放すことは決してしたがらない。
「目の前の仕事を片付けるので手一杯」を言い訳にして、自分の仕事量が減らされることには正直、全く興味がない。無自覚に「恐怖」を覚えてしまうものなのだ。
それまでの自分の仕事に、実は「意味」なんてなかったのだ、ということを間接的に思い知らされることにもなりかねない。
実は人は変化を求めてなどいない、のかも知れない。
こういう状況を変えたいのであれば、「外」からこうした(書類)システムそのものを組み替える役割(と権限)を持った人間が入ってこないと、恐らく無理だろう。
着任当初の俺が実はこういう役回り(何の権限も与えられてはいなかったが)だったらしく、前任者からの引継ぎの都度、かなり無駄な作業を削ぎ落してはきたが。
組織はある程度の期間で「空気を入れ替え」ないと、こうして内部から腐るものらしい。

午後には上司も(葬儀から)戻られて、決算処理の続きを…昨日までの腰掛妖怪サマからの「ご報告」が例によって、「わかる範囲でやっておきました」というもので、俺でも嫌な予感しかしない。想像通り、ほとんど全てが途中段階で放り投げてあり、その申し送りメモもいつも通り全く要領を得ないものだったので、結局イチからやり直しになっていたようで、これは上司に、全面的に同情する。

夕方になって、某ラジオ局がこの新年度から番組の大幅な改編を行い、31年続いていたお気に入りの帯番組は先月末を持って放送終了してしまった。
今日の俺はもちろん仕事中なのでラジオを聞けないわけだが、新番組の初回放送は気にはなっており…しかし休憩時間にうっかり覗いたツイッターは、かなりの荒れ模様であった。
DJ担当者がまさかのコロナ陽性判定で、初日から「代打」だったこともあったようだが、常連リスナーさんたちのツイート曰く、

  • 深夜のAM感、ハンパない
  • リスナーたちとの距離が一気に遠くなった
  • ちゃんと番組コンセプト、事前に打ち合わせられなかったのか?
  • オッサン2人の会話をダラダラと聞かされても…
  • なんでラジオでテレビ番組の話を延々と?
  • せめてBGMをもっと入れて

早々に見限りを宣言するリスナーまで複数出ている。後日改めて確認してみたところ、この時間帯の番組ツイートで俺がお知り合いになった常連リスナーの方々は、かなり他局にバラけてしまった。
この後の時間枠を任されているベテランDJまでが、リスナーの「この状況でクロストークあるのか」の危惧の声に、「するわけないじゃん」とツイート。もう無茶苦茶。
若手のお笑い芸人を据えておきさえすれば、喋りは本業なんだし本人修行も兼ねられるし(うまくいけば大化けするし)、とにかくギャラは安く済む…という局経営側の思惑が透けて見えてしまう今回の大改編。
本当にそう思っているのなら、間違いなく昨今のテレビ離れと同じ「末路」を辿るだろう。
ラジオの場合は、お笑いといえど画面上での印象操作や大袈裟なジェスチャーでごまかしたりはできないので、恐らくはテレビよりも「劣化」(というかリスナー離れ)は早いと思われる。
俺の「ラジオ習慣」もどうやらこれで、潰えた。

帰りの地下鉄車内では、いつも通り途中で寝落ちしていたが、地上区間に出たところで目が覚めたら、走行中の車内でいつもよりも風が強い。
向い側席の窓が今日に限っていつの間にか全開になっており、これも慣れない満員電車での感染不安から「新卒新人」の仕業だろうか(本当のところは知らないが)などと。
帰りの地下鉄も、いつもより混雑していた。
もっとも今日は昼過ぎに信号故障があった影響が残っていたようで、まだ全体的に数分程度遅れてはいたが。
座席がいつものように自由に選べず、ロングシートの真ん中に座っていたのだが、スマホはそれでなくとも俺のBluetoothヘッドフォンと混信する。
両隣と正面(立ち席)で間近に使われるスマホに囲まれてしまい、俺にとってご機嫌なはずの音楽が急にブツブツと切れたり尺が変わっちゃったりして、「叩き起こされた」感じになった。
顔をあげると周り中の老若男女が無言のまま、同じ姿勢で一斉にスマホに視線を落しているサマは、さながら何かの宗教儀式のようだ。
トドメには途中駅からベビーカー…もう一気に無法地帯で、昨日までの秩序だっていた通勤電車はいったいどこへ行ってしまったのやら。

ニュースはどこも毎年の風物詩。
大規模な入社式の様子は、当たり前だが全て大手一流企業のものだ。
規模の大きな入社式を報道すればするほど、本人たち以外に「関係者」も多かろう。
しかし我が国の現状は、今年新卒採用ができるかどうかもわからない中小・零細企業とその関係者の方が、圧倒的多数派なわけで。
年2回流される「賞与平均額」と同じくらい、意味のない報道だと毎年思う。
…あぁそっか、誰あろう報道各社のみなさまが、このような賑々しい入社式を経て社会に出られているから、これが当たり前だと思い込んでいるわけか。ここまで思い至って気分が悪くなり、電源を落す。
つらつらと思い返すに。
新年度が俺にとってまだしも誇らしくて希望に満ち、晴れやかに思えたのは、大学の入学式が最後だったな。
そも働きたいと思ったことがないし、(仕事として)やりたいことも見つからなかった。その後も仕事そのものが生き甲斐ややりがいだったことがないので、職場が変わっても期待に満ち溢れた気分になったことも一度もない。
何よりもそれ以降、人生の「切り替え時期」はなぜかずっと4月ではなかったので、春を「スタートの季節」といわれても一切共感できない。
そういえば職場に「同期」とかも、いたことないなー。