セレブ、展覧会、トレーラー。

午前中はボーっとしていて、12時半ごろ、腹が減ってきたので昼食に近所の公園へ。
いつもの俺の、お気に入りのベンチの背面にBBQ場が開設されていた。
今日はテントは2張りだけだったが、先ほどから同じ方向へ向かって野球場沿いに、俺の数m前を歩いている長身の男性2人がどうやら関係者らしい。一見してスポーツ選手、それもプロっぽい只者ではない物腰とオーラ。さしずめバスケットボールか何か。
テントに合流した彼らからは「ジェッツ」とか「シーズン」とかの言葉が飛び交っており、やっぱりプロスポーツ選手とそのご家族だったらしい*1
俺にとってはあまりにも非日常でセレブリティ溢れる光景。桁外れに美人の奥様と、元気な子どもたち。
恐らくは世界をまたにかけた活躍が当たり前にできる方たちのようで、外国人選手もメンバーに混じっていたが、片言の英語と日本語で何の不自由もなくコミュニケーションを取りあい、笑いあっている。
このトシになるまで、一度も出会ったことのない人種。
友人・知人・単なる顔見知り、街ですれ違っただけの人たちにまで思いを巡らしてみても、これまで一度も遭遇したことのないタイプの人たちだ(というか俺の友人には絶対に成り得ないタイプだろう)。
かように自己肯定感に満たされた人たちは、何しろ声もデカいがメンタルも常に開いていて、底抜けに明るい。
すっかり気圧されて、俺が先ほどから昼食にもそもそと口にしている、お気に入りのはずのテリヤキチキンサンドが、なにかとっても安っぽいだけのものに感じられて味気なく、緑茶で流し込むようにして食べ終えた。こんなことは初めてだ。

「二十歳のソウル」写真展に足を運ぶという週末唯一の予定らしい予定を前に、よりにもよってこれ以上ない「生」を満喫しちゃってる人たちに遭遇しちゃったもんだが。
展示会場は、ふなばしミュージックストリートの際にかつて「俺寄せ」でも演奏させていただいた場所で、以前俺が所属していたことのある派遣会社が入っていたビル、「スクエア21」の3階。
実は実写映画化そのものには全く興味がなくて、恐らく映画を観に足を運ぶ予定もない。
直接の面識があるはずもない主人公「大義くん」は、俺の中では原作本に掲載されているあの写真の通りの好青年であり、それが「お芝居」を一度も見ないで言うのもおこがましいが、自己肯定感のオーラ駄々洩れのような今どきのイケメン俳優の「イメージ」に勝手に置き換えられ、押し付けられてしまうのは、俺の中の大切な「何か」を侵食されるような気がしてしまい、(本作に限っては)どうにも堪えられそうにない。
話の展開上、誰もが泣ける美談に仕立て上げられていることも容易に想像できる(こういう「商魂」がちょっとでも透けて見えると、途端に萎える)。
まぁ観れば観たで必ず感動して帰ってくるとは思うんだけどね俺、単純だから。
それよりも原作の文字を好きな速さで繰り返し追いながら、行間から感じ取れるものも含めて自由気ままに「映像化」している方が、俺にとっては有意義な時間。
こういうことを書いちゃうから、「空気読めない奴」とか言われちゃうんだろうけれど。

事前にちゃんと調べないで来た俺が悪いのだが、広い場内の展示内容、その2/3程は、実写映画のプロモート*2だった。
それでも大義くんが実際に作曲に使っていたというキーボードを始め、数は少ないものの、ご遺族にとって大切な遺品をいくつか拝見することができた。
持ち主の強い思いの欠片を直接感じながら、こういった品々を眺めているのが好きなので、あと少しの間、こうしていたい気分、だったのだが、
「この後14時から、イチフナ吹奏楽部員によるミニコンサートを開催します」
の呼び込みの声に、会場に続々と入ってくる人の流れに抗って、反射的に会場を飛び出していた。
いろんな思いが複雑に絡み合ってしまっていて、この上更に生演奏で、強烈に自身の感情をかき乱されることが怖くなっていた。

ご本人は今のこの地上界での騒ぎを、いったいどんな思いで天界から眺めているんだろう…。
音楽を通じて、短くとも俺より遥かに濃密な時間を過ごしたであろう大義くん。
周りの人たちとの豊かで太い絆。
一方で、同じ音楽に関わりながら少なくともこれまでの「形」をいとも簡単に捨ててしまった、今の俺。
だらだらともう、倍以上も長生きしちゃったよ。
それでいったい、何が残せたというんだろう?
こんな俺に歌う楽しみを教えてくださった「恩師」も数年前に亡くなってしまったし、ここらが「潮時」というものだったのだろうか。
恐らく、俺の葬式に音楽は流れない。
いや、そもそも葬式なんかいらないけど。
ただの肉塊として放置することが近代法治国家として問題だというのなら、さっさと灰にしてもらってその辺にばら撒いてくれればいい。
その頃には、俺を偲んで尋ねてくる奴なんかひとりもいないだろうから、墓もいらない。
…俺もすっかり、クズ人間ぶりがイタについてきたな。

その夜、ツイッターのプロモートで流れてきた、学校風景を切り取っただけのドキュメンタリー映画のトレーラー。
今日ここまでの出来事もあって、思わず

なんか涙出る…
いったいどこで間違えちゃったんだろう人生…。

と素直な心情を吐露してしまってた。
急に暑くなったり、仕事が立て込んだりしてたので、やっぱりメンタル疲れてるのかなぁ俺。
これまでの傾向で言うとだいたい、細かい言い回しがずっと気になったり、文章が必要以上に長くなっちゃうようなときって、メンタルやられてるんだが。

これに夜になってリプつけてくださった奇特な方がいて

間違えてないで。
年を重ねて心動かされるものが変わっただけやで。

…更に涙出た(人の記事につけたリプでバズってもなぁ、何か申し訳ない…)。
言葉なんて所詮はいかようにも言い換えられるもの、人として信じられるのは言葉よりも実際の行動、などと思っていたが。
全く別の言葉にできないかって考えてみるのも、大事なんだな。
この方は、赤の他人である俺にこういう何気ない言葉をかけられるようになるまでに、いったいどれほどの挫折と悲しみを重ねてこられたのだろう。
今夜の俺はなんだか、そんな想像が尽きることがない。

*1:スポーツ観戦を一切しない俺には、まさに「豚に真珠」な状況だったが、もしかして超が付く有名選手だったのでは?

*2:映画中のワンシーンだったり、メイキングだったり