はたらいた。

2年前、家賃の保証人を更新するにあたり、年が離れて若かった叔父もいよいよ定年退職の運びとなったことを知る。
叔父としては「次世代に引き継ぐ」気持ちのような思いからか、
「保証人を頼める同世代の友人ひとりくらい、おらんのか?」
と電話口で、やや強い口調で言われた。
あれから2年、心の片隅にずっとそのことばが棘のように刺さったまま、とにかく現実問題として、代わりに引き受けてくれる家賃保証人を探さなければならないが…。

財布には今、100円玉が1個(後はおろしたての万札と小銭)しかなかったので、とりあえず100均に行って(お礼状を入れる)封筒だけ買った。
コンビニATMで両替がてらパスモにチャージし、その場で切手を買う。
スーパーのイートインを借りて、何度も書き直したお礼状を封入、宛名を書いたところでようやく、封をするためのノリもセロテープも持ってこなかったなかったことに気付く…(!)。
酷暑でアスファルトの照り返しが厳しい商店街を部屋に戻る途中で、家の近所にあるポストに郵便局の集配車が止まっているのを目にした。田舎町ゆえ、一日一回しかない集荷が終了してしまったようだ。
仕方ないので、少し賑わいのある街中まで汗だくになりながら足を延ばし、少なくとも複数回の集荷があるポストに、まだ今日の最終集荷があることを確認してから投函。
再び途中にあるスーパーに立ち寄り、案内カウンターでお中元を兼ねた心ばかりのお礼として、千葉県名産品から困ったときの「梨ゼリー」を注文した(実は俺自身は一度も食べたことがない)。
15:45、今日のミッション終了。

なぜだろう、猛烈に卑屈な気分だ。
もう俺が何をどうしたって、叔父には突っ込まれる気しかしない。
また「なぜ電話の一本くらい寄越せないのか」くらいのことは言われるだろうか。
「教員一族」による子育て、残念ながら「失敗」の事例だ。
俺も妹も、今もって根無し草な生活。もちろん(配偶者も)孫もおらんし。
一方叔父の家族、つまり俺にとってのいとこ達の方は、なにかと過剰適応ぎみだったウチとは違って激しい反抗期もあったようだが、その後は絵にかいたように健全な家族関係だったのは、以前祖母の法事で集まった際に嫌というほど見せつけられた。
3人のいとこたちはすっかり社会の中に居場所を確保して立派に仕事を持ち、家族を持ち、子どもを授かっていた。

その際に叔父が語ったところによると、「弟」くんの反抗期はとりわけ激しかったそうだ。
思春期あるあるで家出を強行、しかしアパートを借りる段になって「家賃保証人」という制度に阻まれたという。
「だからね、人は決して、ひとりでは生きられないものなんだよ。」
叔父は俺に、諭すように言ったものだ。
当のいとこ同士は全く会話ができず、気まずい時間だけが流れていた。
そりゃそーだ、俺の中での彼らの一番最近の記憶は、お兄ちゃん(ご長男)ですらまだ学生で、弟くんたちに至ってはようやくことばを話し始めた頃だというのに、いきなり嫁・子ども連れて現れたら…。

和やかな先方家族の風景を目にしながら、もうこんな俺の性根が、今から少しでもいい方向に変わることは決してないだろう、と思い知らされていた。
今回、その時の叔父の「忠告」に耳を貸さず、過ちを繰り返す方向へ踏み出した瞬間。

ともかく俺にとっては、2年がかりの懸案事項のひとつが、終わったのだ(今日の俺、頑張ったじゃん!)。