洋楽と、昭和歌謡と。

なぜか8月は、昭和歌謡*1が流れることが多くなる。
先の世界大戦の、終戦記念ムードがそうさせるのだろうか。
ここでも何度か書いたが、個別の流行歌に対して同世代の人たちとリアルタイムでの共有体験がなかった*2私は、貧乏くさくてあまり好きになれないんだよな「昭和歌謡」というジャンル。
自身の貧しき時代を「思い出」にすることができた人達なら、その過去を懐かしんで、きっと喜びとともに耳にすることができるんだろうけれど。
WINS阿佐ケ谷が(バーバーショップから)この方向にあっさりシフトしてしまった*3のは全く想定外だったが、最初からここまで嫌いだったわけではなく、それ以前はペンギンフィッシュの方で、元々がそういうカラーの強いバンドだと知ってて加わっていた(俺にしては珍しく)。
その当時は昭和歌謡に今ほどの嫌悪感を持っていなかったことと、自身の主宰バンドとしてはStuckの方でやりたい放題やらせてもらってた手前、バンドのカラーがよくも悪くもここまではっきりしている中に「異分子」として自分の身を置いてみたら、どういうことになるんだろう、くらいの好奇心。
結局、バンド内でのすったもんだのお陰で、こちらはむしろ昭和歌謡に対する上述のようなトラウマを上塗りされた結果になってしまうのだが。

そういえば一度だけ、バンマスさんから「洋楽詳しそう」などと勘違い発言をされたことがあったっけ(あくまでも雑談レベル)。
なんかバタ臭い香りでも放ってるんだろうか俺、かつて他でも同じように言われたことが何度かあったので、あまり驚かなかった。
当時は正直、今ほども聴いてなかったんで、咄嗟に気の利いた反応を返すこともできず。
実のところまともに取り合おうという気も全くなかった。運よくその場で私から何か具体的なリクエストができたとしても、バンドのレパに取り上げてもらえることなどまずありえないと思い込んでいたので。
よくも悪くもバンマスの嗜好が色濃く出ているバンドだったのだ。
そのことに対しては誓って当時から、否定的に考えていたわけではない。
このバンドはそういうバンドなんだと割り切って考えていた。
自分中心の思い込みで、この種の(選曲に関する)発言は自粛していたに過ぎない。

思い出話のついでといえば。
随分前に買った平井堅のCD、わざわざDVD付きの限定版を買っておきながらこの間、CDは頻繁に取り出していたが、ようやくDVDを見る気になった。
予想外にもMCまでちゃんと収録された、本格的なライブ記録だった。
あの曲、この曲にまつわる、個人的な思い出が一気に噴き出す(汗も噴き出す)。
当時は「瞳をとじて」が、ドラマ主題歌か何かで流行っていた。そも何で原曲キーと同じである必要があったんだか。音程的に出るというだけで、歌ってても苦しく、平井堅の歌なら他に個人的にはたくさん好きな曲もあったから、流行に乗って無理やり歌わされた記憶としてしか残らなかった、阿佐ケ谷*4での思い出。
「even if」は毎日のように歌詞を頭の中で反芻していた時期があった。恐らく実生活でも告白(玉砕)した2008年前後の頃だろう。
「Kiss of Life」は別のアカペラ・バンドで歌ったが、ついにこの曲だけは一度も、リズムが気持ちよく感じられるまでには仕上げられなかった*5
コーラスはともかくボイパのいない編成なのに、ベースの刻むリズムが全く「回転」しなかった。感覚がややクラシカルな歌い手だったのか、早いパッセージほど早口言葉みたく(均質に)なるために、テンポもどんどん突っ込んでくる。多分、「グルーヴ」に対する認識がなかったか、俺とは全く違うものだったんだろう。この想像通りだとすると、同じ緊張感を保ったままゆっくりでは歌えないはずだ。
まぁ元唄が「打ち込みテイスト」の曲ではあるんだけど。
そしてお気に入りの「Life is」は、ピアノ弾き語りのひとり演奏録音がある。あのとき電車内で偶然見かけた、キャスケットを目深に被って俯いたまま向かいの席に座っていた、俺より数年遅れてリバウンド真っ只中だった女性は、今頃どこでどうしていることだろう。
…しかし平井サン、目をつぶりながら歌う人だったのな(という個人の感想)。

閑話休題
私自身は一貫して、(楽器と違って不安定な)声を使った演奏形態なのだから、CDを聴けばいいような一糸乱れぬハーモニーをわざわざステージ上で再現したいとは思ったことがない。
その方向性を目指すと、クラシカルな「合唱」と何ら変わらなくなってしまうから。
Do-Wopに代表されるように、もっとリズミカルで小難しくなく、なんならバック・コーラスはギターリフのユニゾン(か三度ハモり)のパターンを繰り返しているだけ、その上をリードが自由自在に歌うスタイルこそをずっと好んできた。
「楽器バンド的」アプローチ、などという言い回しをしていたこともあったが。
一方「ハモネプ」以前の我が国のアカペラ―で一定層を占めていたのが、トライ何某、とかがきっかけで歌い始めた、とかそのコピー・バンドからアカペラに入った、という人たち。
誤解のないように書いておくと、私にはコピー・バンドを否定する意図は全くない。私自身もなんだかんだ言いつつ様々なバンドのコピーから歌い始めた人間だし。
ご本人たちのライブは私も何度か拝見してきた。彼らが一流のパフォーマーであるのは疑いようがないが、正直あまり好みではなかった。
演奏自体は私がイメージしていたものではなく、限りなく精緻な「合唱」の範疇であるように感じられた。
演者も観客も、過半数の価値観がそんな中にあって、かつて私が主宰して幾度も組み替えてきたバンドたちは、よくも悪くも異端(笑)扱いされてきたようだ。物珍しさから気に入ってくださる方も少なくなく、決してそのことで居心地悪く感じたことはなかったが。
演奏するメンバー内でもかようにまず「アカペラ」というものへの概念が(恐らく)全く違ってたわけで、そりゃー今にして思えば「共通言語」なんかあるはずもないわな。解散だってしちゃうよ(そういう次元の問題でもないような…)。
メンバーにボイパのいないバンドばかりを渡り歩いたのはもう、意地みたいなもんで。
バック・コーラスだけでグルーヴ創ってやるぜっていう。
これが「ハモネプ以降」になると、その男女混合コーラスにボイパを加えた演奏スタイルを多くのバンドが(多分無自覚的に)是として志向していたのじゃないだろうか。
テレビで取り上げられた影響は大きく、ご存じの通り「関係者数」は一気に増えた。
信じられないことだが「この道」で主だった大学には今やもれなく、「アカペラ・サークル」なるものが存在するという。
これに伴って恐らく「教育システム」も急速に発達してきたのだろう。
しかし、私の目で見て個性的なバンドに当たる確率は本当に減った。
合唱関係者からもかなりの人材流入があったりして、元々大所帯でやってきた経験豊富な、社交的で協調性の高い、人格円満なリア充サンたちも一気に増えてしまい、そもそもアカペラ(この場合はストリートコーナー・シンフォニー)の成り立ちそのものであったはずのRock臭までもが、今や壊滅的だ。
メンバー同士がステージ上で演奏を通じて(人格上ではなく(笑))バチバチぶつかり合うようなバンドは、全く見かけなくなってしまったな。
…という話は何度もここで愚痴っているのでもう書かない(老害認定)。

(後日記)
10月21日(土)には(こんな私のメンター・タイミングで)復活開催される「静岡あかぺら横丁」というイベントに、久し振りに遠路顔を出そうという気になっている。
個人的な未練をいよいよ断ち切るための遠出になりそうなんだが、その辺の話は事後、気が向いたら詳しく述べる、かも知れない。

*1:とかざっくり言っても、実際には幅がかなり広いんだが

*2:この記事と同じカテゴリを遡っていけば、どこかには書いてある、多分。

*3:事前協議も合議もなかったなそーいえば

*4:こちらはジャズフェス

*5:皮肉なことにYouTubeでの視聴数はダントツ、なんだが。こんな難曲に手を出すバカそうそういないし、ということだと認識している。