長い方の、4時間。

実はこの時点で、ハメをはずしすぎて終電を逃していることに気付いておらず…(この先、長文なので読みたい人、時間のある方のみどぞ)。
というわけで、調子にのってすっかり羽目を外しすぎた。夜道を送って行かねばならないカノジョもいなかったし(今やそういう「安全装置」もなく)。思えばエールハウスでは、いつも何かしらこの手のトラブル…って、その場の快楽に流されちゃう俺が悪いんだけど。
無事に帰宅してから改めて調べてみたら、このルートでの終電は23:11池袋発で、スマホ使いでない俺は事前に終電検索こそ、しておくべきであった。日暮里駅の京成線ホームに着いたとき、既に電光掲示は0:25発高砂行き終電! を残すのみ。
この無愛想な案内表示のどこをどー見なおしても、高砂で(押上から来る)下り電車との接続は、終わってるよなぁ。
というわけで、まるで土地勘のない真夜中の高砂駅で、放り出された午前1時前。
女性お持ち帰り中…じゃなくて、ほんっとよかった。
この次、高砂発下りの始発電車は5:03。
4時間、といえば先ほどまでエールハウスであっという間に過ごした時間とほぼ同じ長さ。だがこれからの4時間は、かなり長くなりそーだ。歩き詰めはさすがに無理でも、このまま駅のシャッター外でじっとしていたら凍死するよなぁ。行けるとこまで行ってみるか。というわけで、遡って「江戸時代の移動手段」を使うことに(っつーかただの徒歩ですけど)。

不安材料としてはしかし、ここは東京「下町」。全く土地勘のない俺にとって、道は線路に沿ってまっすぐ、なわけがなく、しかもランドマークひとつ見えない夜道で、道を尋ねる通行人もいない時間帯だ。スニーカーだったら迷わず線路上を歩いちゃうところだが。

というリスクの洗い出しを、半ば酔ったアタマでした上で、手に負えなさそうだったら潔く高砂駅まで引き返すことも自分にいいきかせて、駅張りの地図を眺めてみた。ざっと1km四方ほどまでしか描かれていないが、数箇所のクランクをクリアしただけでどうやら次の駅までは行けそうだ。順調に行って一駅間を徒歩30分とすれば、さしずめ八幡あたりまでは、歩けるんじゃなかろうか。
それにつけても暖冬でよかった。おまけにまだビールが(ガソリン代わりに)体内に残っており、このところ仕事では使わなくなった体力も、まだ思った以上に残っていそうだ。
高砂駅に着く頃にはさすがにガラガラになった6両編成分の乗客は、あっという間に思い思いの方向に駅から散ってしまい、ひと気といえば、先ほどから俺の前数10m先をじゃれあいながら歩くカップルだけになっていた。もしかして俺のように歩けるとこまで歩くつもりじゃ、という淡い期待は、間もなく小さい露地にふたりの影が消えて、潰えた。

俺の靴音だけが響く夜道、ときおりネコが飛び出してきて、「野良猫天国」な時間帯。こんな時間に電気がついている窓があると、逆にどんな生活をされているのか、なんだか心配になってしまう。それでもさすがに大都会・東京で、一見閑静な住宅街でも、マイルストーンのようにコンビニの明かりが煌々とともっていて、線路沿いの道には街灯があり、導かれるまま、勘だけを頼りに歩いた。
無事に一駅、京成小岩駅まで辿り着き、ほっとして公衆トイレに入った。慣れるとパズルを解いているように、なんだか楽しくなってきた。先ほどエールハウスでOB合唱団の後輩から、「もういいオトナなんだから」といわれたばかりだが、無人の児童公園でひとり滑り台とか、やっちゃうもんね。わ〜い。

いきなり今夜の「ハイライト」が現れる。
急に周囲の空気が冷たくなったな、と思ったら街灯がなくなり、巨大な土塁にぶつかった。江戸川だった。さすがに泳いでわたるわけにもいかず、堤防上に上がって左右を見渡す…右手の橋の方が近そうだ。
見渡せば月明かりと、地上の明かりが反射して雲が灰色に光っている。それが360度、地平に向かって沈み込んで見えて、地球って丸いんだなと実感。
ゼロメートル地帯」といわれるように、民家のある地平は川底より低い。
真っ暗な鉄道橋を含めて見えた3本の橋は、どれも鉄骨を組み上げたトラス橋で、土手から見上げるそれらは黒く巨大に横たわる生き物のようで、なんだか怖かった。
両岸の明るさと対照的に幅広い河原には灯りひとつなく、黒い川が流れる様は、「銀河鉄道の夜」に出てくるカンパネルラ捜索のシーンを思い起こさせる。あっけないほど無事に、千葉県へ入った。
橋を渡りきって舗道に降りると、公民館か消防団の建物だったのだろうか、1軒の民家前道路に、路上駐車ならぬジュラルミン色のボートが。洪水時の備品らしい。
実はこの道が14号線・千葉街道で、このまま煌々と明るく車が行き交う騒々しい道を歩いていけば間違いはないのだが、なんだか真夜中気分がすっかり興ざめ。
それにさっきから横腹に見慣れた社名が書かれたトラックが千葉に向かっており、運良くあれに乗せてもらうことができれば、な〜んだ、難なく先日まで働いていた倉庫街じゃないか。というのもなんだかもどかしく、再び暗くて静かな住宅街の道へ、線路沿いを目指して入る。
江戸川を渡ってすぐの国府台駅は通らなかったが、ほどなく市川真間駅に出た。この辺りまで来れば、昨年春に散策していて少し土地勘がある。線路沿いの道がしばらく続くはずだ。

午前2時。
駅前のコンビニでコーヒーを買って暖をとる。新聞配達のスクーターがもう、真っ暗な商店街を走り始めていた。不意に高校生の頃、フュージョンバンドで合宿をしたのを思い出す。確か埼玉県の本庄だったと思う。畑の真ん中に合宿スタジオがあり、2段ベッドの部屋に自炊。スタジオは24時間使い放題で、あーでもない、こーでもない、とメンバーと曲のアレンジを練っていた。何度か仮眠をしたりして、さすがに外の空気を吸いに外に出たら、見慣れたはずの昼間の景色ではなく、道路以外は何も見えない真っ暗闇で。買い物に出た近所のコンビニすら閉店していたが、その隣の新聞配達所には煌々と明かりがついていた。
線路沿いの狭い路地からタクシーが出てきたので、俺がそれを待つ形になった。白髪の運転手さんはわざわざ窓を開けて、「すみませんね」といってくれたので、「ご苦労様です」と返した。市川真間駅はカーブに設けられた2面4線のホーム。上下線とも通過待ちができる駅。学生時代を過ごした練馬区江古田駅も同じ構造で、そのせいか駅周辺もよく似た風情。大学側で仲間と飲んで遅くなった夜には、駅裏手にあったアパートまで踏み切りを回って帰るのも面倒くさくて、よく駅の中を通り抜けさしてもらったものだ。古いつくりのままだった当時の駅はシャッターなどなくて、有人ラッチのかわりに据えつけられたばかりの自動改札機は開放状態のままそれぞれビニールのカバーをかけられていた。古レールを組んだ木造の跨線橋へと階段を登ると、線路上の狭い通路は真っ暗でところどころの窓から外の明かりが影を落としていた。酔いも手伝って、このまま異次元まで行けそうな気がして、なんだか妙に落ち着く、好きな場所のひとつだったっけ。

ここまでどの駅も、ホームを含めて灯りが消えていたのだが、菅野駅だけは煌々と灯りがついていた。外環道路の工事中で、駅の直上には工事用の仮設橋が架けられている。ホームには、恐らく万が一の落下物などへの対応のためだろう、警備員がひとり巡回していたが、ホーム外から見ると若い女性だった。「一億総活躍社会」とか「多様な働き方」とかいう、政府のお題目が頭に浮かんだ*1
線路沿いの道は鬼越駅を終点に徐々に細くなるようだった。先ほど江戸川で少し歩いた千葉街道が、線路の数十メートル脇まで近寄ってきているので、再び車が行き交う14号線を歩くことに。
中山駅には寄らなかったが、駅勢圏を離れたのがわかるくらい、急にこの辺り、街灯の数が減ってきた。暗くなると同時に、さすがに眠くなってきた午前3時。漫画「ブラックジャック」に、自身も小児麻痺の青年がこの病気を知ってもらうためにひとり、日本中を歩く話があった。幼い頃、自身もリハビリのために同じ道を歩いたことがあるブラックジャックがそれを目にして、車で密かに追走しながら何かにつけて、彼を助ける、という話だった。
青年の目に見えていた光景も、このようなものだっただろうか。
などと思っていたら、もういつも電車内から見慣れた西船橋のラブホのネオンが。
なんと気づけばJR⇔京成線の乗り換えルートの交差点に出てしまった。こんな時間だというのに、いつもの夜と変わらない不夜城、風俗店の客引きが跋扈。この時間帯には、女性たちも自ら街頭に立っているらしい。
コンビニで少し暖を取ってから、JR駅側の喧騒を避けて京成西船駅前に。
時刻表と腕時計を照らし合わせる…げっ、今日から休日ダイヤか! と一瞬焦ったが、始発電車の時間は変わらなかった。
始発電車まで約1時間、というところで、それまで真っ暗だった駅の蛍光灯が一斉に灯った。シャッターの閉まったままの自動券売機の裏では、何やら作業を始めた人の気配がする。
滅多に見られない、駅の「胎動」。
丁度、一旦歩を止めたら動けなくなってしまったこともあり、しばらくそんな光景をぼんやり眺めていた。ここらでようやく、ガソリン(アルコール)切れか。

京成高砂駅から京成西船駅は、線路上の距離で9.5km、駅にして10駅。
東京駅から中央線を歩くと代々木駅くらい。新宿駅からだと西荻窪駅までが約10km。「昨夜」飲んでいた池袋駅からだと、山手線外回りでは御徒町駅、内回りでは恵比寿駅くらいまで、になるらしい。
先に発車した上り始発電車では、乗車したのは1名で、逆に5名ほどが降りてきた。やはりJRへの乗り換え駅なのだ。しかし下り始発電車の到着時間が近くなると、始発待ちの乗客10人ほどが、どこからともなく現れた。やっぱり昨夜、うっかり終電逃しちゃいました?
周囲は明るくなり始めていて、今となっては懐かしくも見慣れた、冬の「早番」出勤時間帯の光景の中を、いつもとは逆行。さすがに、ようやく辿り着いた習志野。遠くてもやっぱりここが、今の俺の家、俺の街、という実感。
ひと眠りした夜、年賀状を印刷するためにコンビニに寄ったら、不意に肩を叩かれた。「よいお年を!」と笑顔で声を掛けてくださったのは、この街で行きつけの整体院院長だった。

年末のものすごく慌しい速度で、昨夜の幸せな時間が遠のいていく…。

*1:その後、我がソーリは年明けの国会で、何かの事例を持ち出す際に、「パートの奥さんが例えば月収25万円とすると」、などとのたまったらしいが…パートじゃいないだろ、この月収…。